学生時代の思い出

 大学3年生の夏休み、奥歯の虫歯がうずき無茶苦茶痛かったが、歯医者に行くのが面倒なのと痛みに弱いので2、3日我慢していればそのうち治ると思ったが、翌日39℃の高熱が出たので、これはマズいと思いすぐに近くの歯医者に。

 先生開口一番「うちじゃ診察できない、よくここまでほっておいたね」と。先生曰く、奥歯の虫歯が化膿し、顎の辺りにある「口腔」に膿が溜まり大きく腫れているので、病院の紹介状書くのでそちらで診察してくださいと。

 直ぐに紹介された駒沢にある国立病院へ。初めて聞く「口腔外科」で診察。すると、直ぐにオペが必要と。手術台に乗り顔に布をかけ、顎の辺りに麻酔をし切開。虫歯の原因となった歯に管を通す手術。麻酔がろくに効かず痛みがマックスに。約1時間ほどで手術を終えそのまま入院。先の見えない入院生活。

 入院2日目、エレベーターで担当医と会い「太田さんどうですか?」「少し逆の顎が腫れてます」と話すと徐に処置室に来てくださいと。前日とおなじようなオペをすることに。激痛が何回も襲い気が狂いそうになったのを今でも鮮明の覚えている。

 入院3日目。顎が大きく腫れ口がろくに開かないので、食事はのどを通すことができないから、しばらくは点滴のみですと。まだ微熱があり寝たきりの生活。

 入院4日目。担当医から「このままほっておくと、ろくに口が開かなくなるので口を開くリハビリをしてください」と。指1本入るかどうかしか口が開かず、親指と人差し指を使って口を開くリハビリ。これを1日何百回も繰り返し行い、入院7日目くらいに漸く固形の物を食べれるようになった。

 本来ならこんな場所で入院ではなく、毎年恒例の草津合宿に参加し8月下旬に行われる全日本学生レスリング選手権に向けて強化しなければならない時期なのにと後悔の日々。早く歯医者に行っていればと。

 入院生活10日目になると熱もさがり口も開くようになり体調も良くなってきたので、ベットの上で腕立て、腹筋、背筋をし試合にむけて最低限の練習を行い準備した。

 そして入院14日目で漸く退院。学生選手権を1週間後に控え出場するか迷ったが、とにかく出てみようと。長い入院生活で体重も減り減量も3,4キロしかなかったので、減量はスムーズに。しかしろくに息上げの練習をしていなかった事もあり、かなりきつかったのを今でも覚えている。

 そして、全日本学生選手権が開催される山梨学院大学へ。計量はなんなくパスし、そして試合。1回戦~準決勝までは強豪選手との対戦もなかったので難なく準決勝進出。準決勝では同門対決。しかも同級生。お互い手の内を知り尽くしている為、接戦となったものの5-4の僅差で勝利し決勝進出

 そして迎えた決勝戦。相手は幾度と対戦した国士館大学の主将。この選手とも手の内を知り尽くしている為接戦に。1-1の同点で既定の試合時間終了。この時のルールは同点の場合は延長戦。ポイント入った時点で試合終了のサドンデス。今東京五輪で柔道競技が行われているが、その柔道と同じルール。柔道では「ゴールデンスコア」と呼ばれている。延長戦に入り対戦相手も徐々にバテだし、両脇をさして渾身の腰投げをうって3ポイントを取り連覇達成。優勝し恩師に挨拶に行くと、「褒めれる試合をしたのはお前だけ」だと。余り私を褒めてくれない先生だったので大変嬉しく思ったいい思い出である。


手島智美
2021.08.02

記事投稿ありがとうございます。
入院期間中でも、万全な状態でなくても、自分の置かれた環境で出来ることを探して精一杯やり切ることが大事だと学びました。退院から1週間後の試合での勝利は精神力の賜物だと思います。
 昔から「目と歯は取り替えられないから大事にしなさい」と母に言われていましたが、納得😰と感じた記事でした。。。!

太田 拓弥
2021.08.02

コメントありがとうございます!
入院期間中は後悔の連続でした…。
歯、目は取り替えできない…教訓にします!

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