「絶望」と「希望」②

こんにちは、学生団体CORS Projectです。

 こちらは、『「絶望」と「希望」』の議事録の②となります。 

 ①は以下のリンクからご覧いただけます。

 ● 「絶望」と「希望」①

 https://pando.life/corsstudentproject/article/37857

「絶望」と「希望」①

吉田 幸水
学生団体CORS Project

(以下議事録)

ハンセン病問題を現代(コロナ禍)に生かすためには

・政府のような影響力のある大きい存在が、ハンセン病の感染力は極めて低いとアナウンスをすればこういった問題は起きなかったのではないか。

→科学的根拠のなさが差別を生み、科学的に正しいことを言っている人たちがマイノリティになったという矛盾。

・現在、感染者何人といったことばかりが強調されるなど、ネガティブを増幅させる報道が多い。まずは、伝える側が何を伝えるべきか工夫を考えるべき。

→重症化率や致死率などを客観的に伝え、国民が冷静に行動できる土台をつくるべき。

・データに基づいて行動することが大切。ファクトは差別に対抗する有効策。

・国が国民に、「ハンセン病は恐ろしい病気」と思わせてしまうような誤った政策をしたことによって起こったのがハンセン病問題。

・現在、新型コロナウィルスの報道を見ると、(特に若い世代において)多くが軽症者であり重症患者が少ない中、「感染者数何百人だから外に出るな」と思わせるような報道の仕方に疑問を持っている。

・Go To トラベルキャンペーンをするにしても、「ゼロか100か」を脱するべきだった。感染者が多い地域と、地方の感染者が極めて少ない地域では事情が違う。感染者が少ない地域内でキャンペーンを適用するなど、柔軟性が必要だったと思われる。


・データでは感染経路は、濃厚接触や飛沫(あるいはエアロゾル)によるもの

→同じ空間にいるだけで必ず感染するといった科学的に確立していない情報を信頼してよいのか。

・憲法上、人の権利は制約されないのが原則。

→人の権利を制約するには、客観的なデータに基づいた政策決定が必要。

すなわち、単なる「可能性」よりも「蓋然性」が必要ではないか

Q:新型コロナに対する対応が高く評価されているドイツでは、そうした客観的なデータに基づく決定が行われたといえるか?そして、権利は制約されないのが原則という考え方は貫徹されていたか?

A:そういえると思う。メルケル首相は、まずは移動の自由を優先した。その上で、国民に新型コロナ対策の重要さを説く演説を行い、補償もしっかりと検討したうえで、外出禁止とロックダウンに踏み切った。

また、ドイツ関連のニュースを見ていて強く思うことは、非常にデータが多く、それが国際基準を適用すべきものと国内特有の問題とでうまく使い分けられている。


しかし、日本はデータの使い分けにしろ、データに基づく判断にしろ、脇の甘さがあるように思われる。

→ハンセン病問題が生かされていないのではないだろうか。



「あなた方みたいな若い人が、今日話したことを世間の多くの人に訴えてもらえれば、俺たちの望むところだね。俺たちではたかが知れてるから、若い人たちに手伝ってもらわなきゃ。若い人が協力してくれることが嬉しいよ。よろしくね。俺は皆さんを頼りにしてるから。」

(今回の課題文献のルポより引用)


この言葉を踏まえて、ハンセン病問題をコロナ禍に生かすために、どういった行動をするべきだと思うか?

・データと経験がとても大切

大切なのは感情ではなく、なぜそうなったのかを客観的に見る目。

SNSやテレビなど、多くのメディアが感情に訴えかけているように感じる。

→感情に流されないことが大切。自分がそういう行動しないことから始めるべき


・自分がやっていることを少しずつ発信していくことが大切。たとえば、こうしたデータサイエンスなど

→少しでも多くの人に知ってもらうことが大切


・データを見て自分の頭で考える。自分なりに考え行動するべき


まとめ

口をそろえて「可能性」といっているが「蓋然性」と同じ意味合いで使えているのか?

自分でしっかりと考え行動に移すことが大切。

国民はデータという頭がないように思われる。

→その点は教育でしかないのかもしれないが、まずは少しずつの伝達が必要。

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