「絶望」と「希望」①

 こんにちは。学生団体CORS Project です。

 今回は、「絶望」における「希望」をテーマにディスカッションを行ってまいりました。

 また、今回より、Pandoさんにご提供いただいた、貴団体のホームページに、我々の行ったディスカッションの議事録を上げていきます。

過去の議事録ならびにブログ記事は、こちらのページからご覧ください。


学生団体CORS Project アメーバブログ

https://profile.ameba.jp/me


 今回は、以下の二つの記事を元に、ディスカッションを進めてまいりました。

 先にこちらをお読みになってから、議事録を読んでいただくと、よりご理解いただけるかと思います。


記事1 ルポルタージュ ハンセン病問題4 ~「使命」がつくりだす「希望の光」~

https://drive.google.com/file/d/1pp1oXueY_gq7Prgza-d0YN85UuCfmXkI/view



記事2 「認識」と「行動」の一致~代表引退にあたって~②

https://pando.life/corsstudentproject/article/36192

「認識」と「行動」の一致~代表引退にあたって~②

小島 瑶平
学生団体CORS Project


(以下議事録)


ルポに関して

・佐藤さん自身は何も悪いことをしていない。

 にも関わらず、誤った法律や隔離政策、差別によって、佐藤さんらが壮絶な生活を送らざるを得なかったことが痛ましい。

 →1952年 WHOは隔離政策に合理性はないと指摘。

  しかし、1953年 「らい予防法」施行。1996年まで施行されていたが、そこに科学的合理性は一切なかった。


・人が人に絶望をみせている。その構図に疑問を生じる。



Pandoの記事に関して

・トップの人々による、自らの利権を意識した、現在の地位を揺るがさないための政策が多いと感じる

 →それがスピード感として評価されてしまっている。

  果たしてパフォーマンス抜きでも評価されるものなのか?

・ポストのある人が誤った情報を発表することは、信頼を欠いてしまう。

  →行政への信頼が失われかねない。

   公機関は客観的証拠を伴った信頼できる発表をしなければいけない。


・平衡感覚がキーワードだと感じた。

・ハンセン病問題も、国の誤った政策により、国民に誤った認識を植え付けてしまった。

・それがコロナ禍でも起きている。

・「考える力」と「行動」を自分自身はもちろん、国民が持つべき。


ハンセン病差別における事柄について

・「国だけ」を批判をする論調がある、大抵そのようになっている。

 →実際に差別したのは「国民」。

  何も考えずに行動してしまった国民にも責任がある。


・今回のコロナ禍でも、国民が買いだめ運動に走った事例があった。

 →国民が考えて行動していないがゆえに起こった。


・批判的に考える力が相変わらず欠けている。

Q 絶望の中で希望を見失わないためにはどうすればいいか?

O1 

:絶望はその人を取り囲んでいるが、そこから一歩出てしまえば、全く違う社会が広がっている。

 しかし、そこから出る方法がない、そこから出すための手助けがない、それゆえに絶望があると思う。

 絶望の渦中にいる人々は、希望を見出すことを忘れず、行動し続けなければいけない。

 渦中にいない人々は、絶望の中の人々を、絶望から救い出すように行動しなくてはならない。

 しかし、本当に絶望をしている人々に、行動を強いるのは厳しいとも思う。

 →絶望を引き起こさないためのベースの部分(お金、ものなど)は常に補償されるべき。

  

O2

:自分が人生で絶望した経験を経て、自分は誰かの役に立つことができるのではないか、と感じた。

 また、サポートや言葉を自分にもたらしてくれる、身近な人の存在も大事。


O3

:「絶望しないこと」と「勇気」

  絶望していることは、内向的、マイナス思考、明るいことを考えられなくなるが、「絶望しないこと」が重要だと思う。

  絶望の中にも、佐藤さんのような使命感を持ち、生きるというのが一つのヒントかもしれない。

(②へ続く)

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