どうも、Epoch副代表の柿本です!
今回で、コロナ禍における話を続けて3つ目の記事になります。今回の記事でちょうど終わらせようと思っています。かなり長くなるかもしれません。
まだPart1・2を読んでいない方は、先にそちらから読んでいただけると幸いです。
Part1→ Part2→
格闘技にハマって、気付かされた大切な基本。
前回の記事の最後で、モチベーションについて僕なりの考えを書きましたが、僕にとって、筋トレのモチベーションが格闘技のプロ選手たちでした。
元々は肉体がかっこいいということに憧れて見始めましたが、実際にYouTubeやオンラインでの配信などを通して、格闘技の試合を見る機会が非常に増えました。
僕自身、喧嘩経験など皆無で、「人を殴るスポーツとか訳わからん」と正直思っていました。失礼な話ですが、正直、ヤンキーあがりみたいな人ばっかりだと思っていました。
しかし、実際はそんな野蛮な世界ではなく、誰かと殴り合わなければいけないという平和的社会とは逆行した世界だからこそ、美学や信念にあふれているものでした。
リングの中で行われる試合は、ただの殴り合いではなく、格闘技選手の人生をかけた表現の場であり、勝敗以上に美しいストーリーや主張が存在しているのです。
格闘技界も新型コロナによって大打撃を受けた業界の一つです。そもそも試合会場にお客さんを以前ほど入れられませんし、海外から選手を呼ぶこともできません。多くの大会が中止となり、瀕死まで追い込まれた団体も少なくないと思います。
しかし、それでも格闘技団体は生き残る術を模索し、プロ格闘家は表現することを止めはしませんでした。
そこには、格闘家と業界の不器用さと愚直さが確かにあります。格闘技の火を絶やしてはいけないという、大きな信念が甲斐見えました。
生活している中で、格闘家のように、自分の信念を表現する場を持つことは中々ないでしょう。しかし、表現する場がないにしても、どんな状況でも信念を貫き、主体的に考え、選択をする。この生きる上で基本的にも思えることを再確認させられた半年間でした。
だからこそ、ウイルスに全面降伏してはいけないし、諦めざるを得ないことがあっても、自分の信念だけは曲げてはいけないと強く感じました。
今日も明日も生きていくしかないんだよ。
ここまで、何本にも分けて、コロナ禍で思い知ったことを綴ってきました。本当に長くてすみません。自分でもここまで長くなると思ってませんでした。最後に、今までの話を全部、抽象化してまとめたら、結局こういうことだろ!って話を締めとしてさせてください。
僕が好きな総合格闘家に、青木真也という選手がいます。格闘家の中では珍しく、頻繁にnoteを更新し、本も執筆し、様々な媒体で連載をしている方です。それらの記事などを読ませていただくと、格闘技に対する執念と、生きることへのメッセージを非常に強く感じます。
そんな青木真也選手が2020年4月17日、緊急事態宣言下でしたが、観客を入れない配信のみのグラップラーマッチ(寝技だけの試合)を行いました。試合自体は引き分けという結果でしたが、試合後のマイクが非常に印象的で、同時に僕の考えていたことと全くの同意見でした。青木真也選手の口が汚いのはご愛嬌です。
死にたくねぇ、負けたくねぇんだったら試合しなきゃいいし、家にずっと居りゃいいんだ。「ステイホーム」ってずっと書き込んでろ!
2020年10月現在、今でこそ多少の飲み会や移動も許されるような世間の空気感ですが、試合当日の4月17日は、一切許されない、ステイホームこそ美徳とされた時期でした。そんな状況の中、こんな言葉から青木真也選手のマイクは始まりました。
そして、そこに続いた言葉が素晴らしかった。
生きるってそういうことじゃねぇだろ。日々嫌なことと戦って、クソみたいな世の中、生きていくんだ。生きるってそういうことじゃねぇのか?
生きるってのは家の中に居ることじゃねぇ。目の前にあることと戦うことだ。
お前ら、よく覚えとけ!
家にいないといけないと思いつつも、心のどこかで「いやそうじゃないだろ」と考えていた自分に気付かされました。ただ誰もそんな考えを肯定してくれるとは思いませんでした。でも、間違っているとは到底思えませんでした。やっぱりコロナ禍は息苦しすぎます。
結局、どうにか生きていくしかないんだなと。
でも、何も考えずに生きていくのは難しい。
だから、自分のことを本当の意味で愛してあげないと生きていけないなと。
ただ自分のあらゆる面を肯定するのではなく、自分に至らない部分はたくさんあることを受け入れ、目を背けず、より良い自分を目指して、自分のペースで努力すること。それが自分を愛するということの本質であるように思います。
新型コロナによって、道半ばで諦めざるを得なかったことがたくさんあります。原因が新型コロナでなくても、そういう経験は誰もがあると思います。「無駄だったなぁ」と感じることもあるかもしれません。でも、その費やした時間や情熱が全て消えることはありません。
今、バンド活動を断念した僕は、少し音楽が嫌いです。BGMすら聞いていてなんとなく辛くなります。でも、音楽に対して費やした情熱を誇らしく思います。またいつか、諦めた道に遠回りしながら戻ってくるかもしれない。今では諦めた道をどうにか歩いていたことが、今の自分の糧となり、肥やしとなるのだと信じています。
自分が信じた道を進むということは、どんな分野でもどんな状況でも変わりはありません。勉強だろうが、音楽だろうが、筋トレだろうが、ウイルスだろうが、万事を糧にして、
クソみたいな世の中を生きていくのが生きるということだと思います。
今回も長くなってしまいました。締め編とは書いてありますが、次回、展望について書いて、終わりにします。ので、次回でコロナ禍編最終回になります。
余談ですが、青木真也さんの連載は無料で読めるものも多いので、気になった方は検索してみてください。
今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました!次回、最終回ももし良ければよろしくお願いします。
学生団体Epoch副代表 柿本 遼