こんにちは!日和の坂本です。
さて、みなさん、アクセサリーはお好きですか?
最近は様々なアクセサリーがあって、お店で見ているだけでも楽しいですよね。
そこで今回は、日本の装飾品の移り変わりについて書いていこうと思います。
古代
装飾品が普及したのは、縄文時代だと考えられています。
呪術的な意味合いが強く、牙や勾玉などが身につけられていました。
弥生時代には青銅やガラスなどの材料が使われるようになり、丸いビーズをつなげた数珠のようなネックレスなども登場します。
突然に消えたアクセサリー
古墳時代後半になると、装飾具は神格化、天皇の権威の象徴となり、習俗は廃れていきます。
真珠はアクセサリーではなく、すり潰して薬として利用されました。
しかし櫛だけは特別で、古墳時代以降も現在に至るまで慣習が引き継がれています。
奈良・平安時代には、女性は十二単などの鮮やかな服で美意識を表現するようになりました。
しかしこの時代、実は装飾具の概念は男性の方に残っていて、刀や兜に装飾を施し、存在感をアピールしていました。
ジュエリー文化の発展
明治時代の文明開化では、一部の上流階級の間でジュエリーの認知度が高まりました。
ちょうどこの時期から、指輪をつけた日本人の女性の写真、絵画などが登場しています。
その後も西洋化が進み、戦後にアメリカの文化が流入したこともあり、日本のジュエリー文化は大きく発展していきました。
いかがでしたか。
このように見ると、日本のアクセサリー文化は意外にも浅いことがわかります。
しかし、今でも数珠や、勾玉をモチーフにしたアクセサリーなども多くあります。
また、櫛などずっと残っている文化もありますよね。
ぜひ、そのようなアクセサリーをつけて、歴史を感じてみてくださいね!
人間、どんな時でもやはり自分を飾りたいという欲求はあるものなんだなあと不思議な気持ちになりました。
私はアクセサリーが好きなのでとても興味深かったです!
男性が存在感のアピールのためにアクセサリーをつけていたのがわかるようで意外でした!
勾玉が作られたのも遠い昔で、その頃衣食住もままならなかったはずなのに、アクセサリーを作るという発想になったことに驚いたのを覚えています、、、