IDFC2021実行委員会の山岡光太郎です!

こんにちは! 

IDFC2021実行委員会の山岡光太郎です。副代表兼渉外を務めさせて頂きます。

よろしくお願いします!

実は僕,ミャンマーに行ったことも,参加者としてこの会議に出たこともないです。そこでこの記事では,僕が実行委員を決意するまでの流れを大学入学から簡潔に書こうと思います!途中話が脱線しているように思うかも知れませんが,意外と繋がってたりするので読んでみてくださいね!笑

【大学1年生(2018年4月〜2019年3月)】

1年の浪人を経て慶應大学の経済学部に入学しました。「大学生らしいサークル活動はしてみたいものの,4年間はちょっと…」と考えた自分は,その4年分を新歓期間の1ヶ月に凝縮しようと試みました。笑  とにかく色んなところに毎日顔を出しました。一言で,めっちゃ楽しかったです。笑 でも予定を詰めすぎて体調を崩しました

(寮の友達とアメフト部の新歓に一緒に行った時の写真。新入生は無料でローストビーフ食べ放題。)

というのもサークルと同時に部活動もやろうとしたからです。元々運動が好きだった僕は浪人中思い切り運動が出来なかった分,部活をやってみたかったのです。

最初はラクロス部に入ろうとしました。初っ端からバリバリ活動があり,新入生は朝7:00に練習が始められるように準備。しかもほぼ毎日。というわけで4月末に早々離脱しました。笑 それでも部活はやりたかったので,新歓で縁があった準體育會のアメフト部に所属することが決まりました

(背番号4が自分)

同時に,学校の寮で出会った友人が自分に大きく影響したように思います。自分含めた学部の違う3人で,毎週月曜日の夜に「勉強会」(という名前の飲み会)を開いて近況や情報を共有する機会がありました。その中で「慶應の休学費が2年前?に安くなったという情報を初めて知りました。当時読んでいた本が休学を積極的に肯定してたこともあり,5月には2019年度休学する事を決めていました。

本格的に準備が始める必要が出て来た秋に部活を辞めることにしました。元々は休部して,帰国後戻る選択肢も残しておきたかったのですが,部活の体質上それは難しそうでした。

秋からは休学の準備をしつつ,DJをしている友達とイベントを開いたり,ミスコンに参加していた友達の応援をしたりただアルバイトはまとまった時間が取れる春休み(2月頭〜)が勝負と踏んで,出国前まで頑張りました。

(春休みの平日毎日働いていた浜松町 アルバイト最終日に撮影)

1年生の時は「一つの分野に拘らずに,色々見てみたい」という思いがあって,手探りの中手を出し続けていました。休学して世界を旅する事でさえ,「必ず成し遂げたかった夢」という訳ではなく,「今後の大学生活を考えて行く上で世界や視野が広がるにはどうすればいいのだろう」と考えた自分なりの結果の一つでした。

【大学休学(2019年4月〜2020年3月)】


国際NGO NICEのぼらいやーというプログラムでボランティアをしながら世界を旅しました。カナダから始まり東回りで世界一周,計28ヶ国を訪れました。

(出発の朝。準備が間に合わず結局寝れなかった。笑)

なぜボランティアをしながら世界を旅したいと思ったのか?これは浪人時代が大きく影響しています。当時毎日が自宅と予備校の往復で,「世界が圧倒的に狭い」ことを強く感じていました。だから,大学に入ったら漠然と海外に行きたかったのです。まず思い浮かぶのは留学で,もちろんそれもしたいのですが,旅行でも勉強でもなく,もっとローカルな体験をしたり,日本と全く違う環境に自分の身を置いてみたかった。ボランティアは自分のイメージに一番近い気がしました。

(2019年7月メキシコ ウミガメ保護のワークキャンプにて)

(2019年9月 オーストリア 知り合いのワイン農家にてお手伝い)

(2019年11月 ケニアのヴィクトリア湖に浮かぶ小さな島で農作業の手伝いしてた時)

(2019年12月 タンザニア ダルエスサラーム郊外にて)

活動場所は田舎が多く,機会がないと行かないような場所/体験ばかりです。現地の人と関わる機会も増えます。

大学2年生以降に挑む‘何かしら’を掴んで日本に降り立つ前には心の準備が出来ているように

これは出発前に決めていました。

【大学2年生(2020年4月〜)】


(エチオピアの首都アジスアベバで散見される中国建設)

(大学受験を終えた弟と旅したタイ・バンコク)

世界を旅して中国の影響力を目の当たりにしたり,最後に訪れたベトナム・タイがとても快適だったのもあり,東アジア/東南アジア世界に興味を持ちました。旅をして自分は日本がとても好きなことに気づけた反面,日本だけにいるのも狭く感じてしまう節があり,将来は「適度に日本に帰れるぐらいに,世界で仕事がしたい」と思うようになりました。必要なのはまず①知識 ②経験 ③語学力(ディスカッションレベル)

その流れで出会ったのがIDFC日本ミャンマー学生会議でした。まず学生会議というものに惹かれた理由は,同世代と対話が出来る機会がとても魅力的に映ったからです。というのも,去年一年間出会った多くの人は,考えてみればおじさんおばさん世代や子供が多い気がしたからです。それもそのはず,僕は一年休学していましたが,現地の方は働いたり学校に行っていたはずです。

そしてミャンマーという国について。旅の最後の国はタイでしたが,コロナの影響であと一歩足を伸ばせなかった国が隣国のミャンマーでした。宿で出会った旅人はみんな「ミャンマーはとてもよかった!!!と言っていた為,興味はありました。そんな時にSNSで実行委員の募集を見つけたので,応募させて頂きました。

となると一つ突っ込まれそうな気がします。(実際面接でも聞かれました)

「なぜ他の東南アジア諸国の学生会議ではなく,ミャンマーなのですか?」,と。

正直,他の人を納得させられるような説明は今も出来ません。

ただ,この会議に実行委員として参加したら,(もしも)これからミャンマーとずっと繋がった時に,「ミャンマーと関わるきっかけは何でしたか?」の質問の答えは間違いなく「IDFCで実行委員をしたからです。」になるはずです。

自分の中で(現段階では)未知の国ミャンマーが,ひょっとしたらずっと関係が続く第一歩になるかも,という淡い期待のようなものを含めて実行委員をに応募させて頂きました。

一見弱いような動機ですが,自分の中では自信があります。というのも,2019年度を休学した時も,世界を周ると決めた時も,確固たる根拠なんてなかったからです。それでも沢山のものを持って帰ってくることが出来ました。

だから実行委員を務めさせて頂くことが決まった今,責任を持って精一杯役職に当たらせてもらおうと思います!

長くなってしまいましたが,以上です。

ありがとうございました!

2020年5月21日 IDFC2021 副代表兼渉外 山岡光太郎




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