”つづけること”っていいことなの?

この話はカタルシスに入って、私の中で”継続”に対する考えが少し変わったお話です。


先月私たちカタルシスはバー開業から一周年をむかえました。

コロナのなかでありながらも一周年をむかえられ、みんなお祝いモードでした。


そんな中私はふと思ったのです。なんで一周年てお祝いするのかなって。
続けられることって、価値のあることなのかなと疑問に思いました。


人々は継続を美徳とし、それを祝います。
恋人たちは記念日を祝いますし、漫画は連載されることを望みます。
人は生き続けることを望みますし、人類が滅びないことを望みます。
継続は力なりなど、継続に対する金言も枚挙にいとまがありません。


その一方で、人々は継続を苦手だと思っています。わたしも継続は苦手です。
私はむかしから一つのことを継続して取り組むのがにがてでした。
筋トレもつづかない。英語の勉強も続かない。


この悩みを抱えているのは私だけではありません。
巷では、継続するためのテクニックなどを書いた本が大量にあります。
3日坊主なんて世界で毎日何千万人生まれていることでしょう。

人間は継続が苦手な生き物なのです。


じゃあ、継続って何なんでしょう。人々が頑張って何かを続けようと努力していることから何となくいいことのように思えます。
でもどうでしょう。


もしあなたの知り合いが毎日2Lのコーラを3本消費する生活をしていたらその継続を称賛するだろうか。
もしあなたが毎日SNSにデマを10個投稿していたら、社会はそれを称賛するでしょうか。


答えはNOでしょう。
これらの行動は称賛されるどころか、懸念や避難を向けられる対象になります。


このことから継続はそれだけでは価値のあることだとはいえません。
では継続とは何なのでしょう。


私は継続を
「現状を変化させるために人間ができる唯一の方法」
と定義しました。

様々な先人たちが言っているように、継続は成功や結果を得るための必要不可欠なものです。
つまり、今のままでは自分にはできないことを達成するための手段なのです。


不満のある現状を変えるための唯一の手段なのですから、その不満を解消するために継続しない手はありません。

でも、続かないですよね。わかります。

ではなぜ続かないのでしょう。

この問いに私は答えられないでいました。もしかしたらこの問いにすら気づいていなかったかもしれません。


しかし、カタルシスで活動してきてこの問いに対する一つの答えを見つけれたと思います。

「それは継続によって現状を変化させた未来が自分のなかで自分にとって最適な、満足できるものになっていないのです。」
遅くなりましたがこれが今回言いたかったことです。

カタルシスの理念で、人々を自分からも、他人からも満足しているように見えない現状から、自分からも、他人からも満足しているように見える現状に人々を変えるという後者が見つけられていないのです。
(この下線部の場所は私たちカタルシスの中尾さんの記事「学生起業"カタルシス"は何をどう変えうるのか。vol.2とvol.3」ですごくわかりやすく書かれています
リンク:https://pando.life/katharsis/article/22182

学生起業"カタルシス"は何をどう変えうるのか。vol.2

まさなり
カタルシス


つまり、継続することによって変化した未来に対する満足感がないのです。
これでは何のために継続するのかわからず、継続できるはずもありません。
筋トレがいいなんて聞きかじっただけで、その未来が想像できて満足できないのなら継続なんてできません。


一方継続を良いものとして行ってきた先人たちは、自分の変化の先を明確に描いており、それに満足しています。
プロのスポーツ選手なんてわかりやすいですね。常に自分の足りないところを探し、それを埋めることに命を懸けています。

つまり、現状を変えるためには、満足できる未来像がはっきりしている必要があるのです。

カタルシスにいる人は継続する力がすごいです。

それは自分たちのヴィジョンに満足しており、それを望んでいるからです。

そしてカタルシスのヴィジョンは、世の人々にそれぞれの満足できるヴィジョンを見せ、そこに至らせることです。


一人では満足できる未来像を描くのは難しいです。できたらこんなに継続で悩むことはないでしょうから。

継続することが価値を生むことであり、その継続が自然とできている。そのように人々を後押しできる姿がカタルシスの未来像です。

今日はカタルシスで変わった継続への認識が、そのヴィジョンとつながっているというお話でした。
なるほどと思った方は、自分の納得できる未来像を考えてみてください。

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