徽音祭実行委員として 


文化祭の実行委員が「目指すものは何か」と問われれば、ほとんどの人物が「文化祭の成功です」と答えるのではないでしょうか。

しかし、その”文化祭の成功”とは、はたしてどのような状態を指すのでしょう。
私たち文化祭の実行委員は、それをよく考えた上でこの言葉を用いなければなりません。そうでなければ、”成功”という言葉は途端に中身のない、空虚なものとなってしまう。

私にとっての徽音祭の成功は、徽音祭に参加した全ての人に、いつか「良い文化祭だった」と徽音祭を思い出してもらうことです。
……こう聞いて、「委員会が生徒や来場者にとっての文化祭の楽しさに関与することはほとんどないんじゃないか?」と疑問に思われた方は多いのではないでしょうか。

実際、私も全くその通りだと思います。

文化祭で何か出し物をする際に直接関わるのは基本的に学部や部活、サークルといった自身の所属する団体であり、その団体の仲間と何かを成し遂げることこそが良い思い出や経験となって、人々の中に残っていく。
かつて学生だった方々の中で、実行委員会の存在を覚えている人の方が珍しいでしょう。

私がもし企画をする部局に所属しているならば、直接生徒や来場者の方に楽しさを提供できるかもしれません。しかし、私が所属しているのは総務部局であり、徽音祭で生徒が何か活動をするための場を提供したり、徽音祭におけるルールを提示するのが私の仕事です。では、なぜ私は総務部局を選んだのか。
それは、私が活動を通して達成したいのは、”徽音祭で楽しさを提供すること”ではなく、
”良い思い出として振り返ることのできるようにすること”だからです。

私たち総務の制度や采配によって、いくらでも参加してくれた方々にとっての徽音祭が変わります。
例えば私たちが団体に「あなた達は今年、参加してはいけません」と告げれば、その団体は本当に参加できなくなってしまう。思い出すら作れなくなってしまうのです。

ただ、団体がなるべく望ましい状態で徽音祭に参加できるよう取り計らうのが私たちのするべきこととはいえ、だからといって委員が団体の言うことをなんでも聞き、そのために辛酸をなめるというのは、それもまた違うのではないかと思います。
私にとって、徽音祭実行委員会の仲間も、大事な徽音祭の参加者です。

参加団体の生徒、来場者の方々、そして徽音祭実行委員の仲間────その誰もが、
「良い徽音祭だった」と振り返ることができる。
それが私の目指す、”徽音祭の成功”です。

自身の目標達成のため、これから文化祭が終わるまで、奔走し続けたいと思います。

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