1番頑張ったこと

 KIFCで1番頑張ったことを問われて、私は悩みました。

 この2年と少しの間に頑張ったことがない、なんてことはありません。寧ろ、沢山「頑張った」ことはあると思っています。どの年も、どの役割でも、私にできる精一杯のパフォーマンスをしてきたつもりです。それでも、1番を答えることができないのです。そこで、私の「頑張った」を分析してみようと思います。

 まず、「頑張った」とは何でしょうか。

 私は、「あることに対して力を尽くしたこと」だと思っています。その「こと」とはどんなものでしょう。人によって様々な考えがあるとは思いますが、私は第一に「大変なこと」が挙げられると思います。例えば、前例や経験などの知識や情報が不足していること、自分が苦手なものに挑戦すること、想定外の問題を解決するために行動することなどです。そして、それらに取り組むにあたって、時間を有した場合に「頑張った」と思うこともあります。また、己の目標を達成するためや、課題を解決するために「特別心を砕いたこと」というのも「頑張った」に繋がるのではないでしょうか。これらが、多かれ少なかれ、時に単体、時に複合的に絡み合って、「頑張った」に影響しているのだと思います。

 では、「頑張った」と思う瞬間はどこでしょう。

 何か成果が出た時、自己満足した時だと私は考えます。しかし、このタイミングがお仕事によって大きく異なるのです。

 昨年まで、私は企画部局で参加型企画の運営に携わっていました。様々な種類のお仕事を積み上げて企画を創り、当日の運営をするお仕事です。成功させるためには、それこそ不測の事態の発生にも備え、最後まで気を抜くことはできません。そのため、お仕事1つ1つが片付いた時というよりも、企画を無事に運営することができた、つまり徽音祭が無事に終わった時に、それまで積み上げてきたお仕事の数々に対して総合的に「頑張った」と感じていました。

 一方で、現在私が行っているお仕事は、企画のように長い時間をかけて準備して、当日が終わるまでは気を抜くことができないものも勿論あります。しかし、単発的で既に片付けたお仕事もあります。既に終えたお仕事のいくつかについても、労力をかけたものにはそれなりの「頑張った」を感じます。しかし、去年8ヶ月作って創り上げた企画と、20時間程度で仕上げた単発的な日常のお仕事の1つを同じフィールドで比較できるかというと、そうではありません。つまり、私が今までに経験してきたお仕事は、性質が大きく異なるために順位を付けられず、それ故に1番を選ぶことができないのです。

 ただ、私は徽音祭が終わった後の「頑張った」が、達成感とも呼ばれるそれを皆と共有することが好きで、その感情を味わうために約1年間準備を重ねることを頑張るということは確かです。

 第71回徽音祭については、まだまだ「頑張っている」最中です。全てが終わった時に「頑張った」と言えるように、後悔しないように、今日もお仕事をしています。

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