ローマは一日にして成らず


はじめまして。近畿大学4年、實好礼治です。
大学生活4年間で感じたことを少し書いてみました。

最後までお読みいただければ幸いです。

僕は大学4年間でたくさんの「天才」を見てきた。プロで活躍する同世代の選手や真似できないほどのリーダーシップを持った先輩、大学在学中ながらプロと契約し既に戦力になった幼馴染、起業して地位と財産を手に入れた同級生、プロの世界で戦う父。

僕はサラブレッドとして生まれた。サッカーをすれば、将来を大きく期待され、父と常に比較され続ける人生だった。父と僕じゃ才能が違うんだと痛感する日々だった。結果を出してもプロの子だからと言いくるめられることもあった。妬まれることもあった。誰からも自分自身を見てもらえていないような気がした。

そんな日々が憂鬱になり、高校の頃には親と衝突したこともあった。日本一を目指し、全国大会には出場できたが、大会中に骨折。目立った成績は残せず、大学では、1年の頃からトップチームにいれていただくことは多かったが、結果は何一つ出せなかった。
冒頭で挙げたような「天才」たちと自分とでは何が違うのか、僕なりに考えた。

自分が「ラク」だから人を神格化する。

圧倒的な差を見せつけられた時、「才能が違う」「天性のもの」だと決めつけてきた。見て見ぬふりをしてきた。なぜか。その方が「ラク」だったから。神格化してしまえば引け目を感じない。

努力しない自分を正当化し、結果が出せない自分に言い訳をし、実力のある人間を「天才」のたった一言で片付けていた。その人の「努力」より「才能」に注目することで自分の現状に甘んじることができていた。

僕には自信がなかった。圧倒的な練習量は圧倒的な自信を生む。全くその通りだと思う。単純に練習量が足りなかった。そこからより本気でサッカーに取り組むようになった。

しかし、大学3年の時、サッカー部で不祥事が起こる。無期限の活動停止になったが、ボランティア活動、研修の末、活動再開。サッカーができると思った矢先、半月板損傷の大怪我をし、サッカーを続けるつもりなら手術は必要だと医者から告げられた。何一つうまくいかない。

友達はプロで活躍している中、僕はサッカーすらできない。でもそこで気持ちは折れなかった。大学に入って自分と向き合える時間が増えたことで、気づけたことは多い。普通ではできない経験をしてきたおかげで、粘り強さには自信がある。毎日努力を積み重ねれば、いずれサッカーができるようになると僕は信じている。

「ローマは一日にして成らず」

題名でもあるこの言葉は、
僕の座右の銘である。(だいぶ格好つけました)
あれほど栄えたローマ帝国も、築くまでには長い年月、苦難の歴史があるという意味のことわざだ。
要するに、偉業を成し遂げるには、長年の積み重ねが必要だということ。社会には、滞りなく仕事をこなし、かつ結果を出すエリートと言われる様な人がいる。ただそれは天性のものではない。早い人は小学生や中学生、もしくは大学生で地道な努力を重ねてきた結果だ。決して一日で手に入れたものではないと思う。

僕は今、その苦難の歴史を築いている途中だと思っている。

大学生活で「あの人だから、、」という甘い考えは今すぐ捨てるべきだと気づくことができた。誰かの偉業を天才だから、と片付けるのではなく、その裏に隠された努力の部分にフォーカスして、逃げないように、甘えないように常日頃から自分を律して過ごさなければいけない。大学生活、まだ終わっていない。やれることはまだまだある。
人生に後悔をしないように、
今やれることを、
毎日コツコツと積み重ねていきたい。


拙い文章ではありましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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