「ささえるヒト」

​はじめまして。近畿大学サッカー部2年、原口龍馬です。サッカーが出来なかった期間に感じた気づきを少しだけですが書いてみました。最後まで読んで頂けると嬉しいです。

コロナウイルスでの活動自粛、そして不祥事。合わせるとサッカーの出来ない期間が一年ほどあった。これほどサッカーが出来ないことが苦しいことだとは思ってもいなかった。
当たり前の日が突然消えてなくなってしまう。無くなって初めて、これまでの当たり前の生活がどれだけ有難かったのかを実感する。当たり前なんてものは無限ではない、必ず終わるもの。だからこそ今ある当たり前を全力で悔いのないように。


この期間を通し1人では何もできないことに、支えてもらって自分が存在していることに気付かされた。
感謝だけは忘れてはいけない。サッカーをする場を与えてくださるスタッフの方々、携わってくださる全ての関係者の方々、チームメイトの先輩・同期・後輩、そして親に。

「人は支え合いながら生きている」この言葉に聞き覚えがある。しかし自分と照らし合わせたとき、
相手を支えられているのだろうか。
今ある当たり前に甘えて、支えてもらう一方になっているのではないだろうか。
楽な道を選択し利己主義になっているだけではないだろうか。
という疑問が生まれた。

おそらく全てに当てはまる。それはなぜか? 
今まで支え合うという意味の本質を理解していなかったからである。
これまで「支え合う」というものは表向きの言葉だと思っていた。しかし、そこには人間の奥深い感情があり、人柄や人間性までもが表される。この言葉は互いを信用し信頼している上で意味を成す。

この期間がなければこの先もずっと楽を選び続けていたかもしれない、1人では何もできないと知れたからこそ「支え合う」ことについて深く考えることができた。

人は1人では生きていけないのは当たり前。支え合うのが人であるということ。

この概念から人に対しての考えが変わり、楽をしないようになった。そして「楽な道より険しい道を選択せよ。」この言葉には相手のためを想う意味もあるのだと気づいた。サッカーというチームスポーツをしている以上、支え合っていかなければチームとして成長しない。時には険しい道を選ばなければならない時もあるだろう。人のために、チームのために、強くなるために、険しい道を自分が率先して選んでいける選手になりたい。そして誰もが嫌がることでも、逃げずに取り組むことで題名にもある「ささえるヒト」に近づけるのだと思う。

残りの大学生活、残された時間は2年しか無い。この2年で自分を支えてくださった方々に恩返しをしていきたい。20年間何もかも支えてもらっていた自分。その自分がどこまで恩返しできるかは分からないし、何から始めれば良いのかも分からない。けれどまず、
感謝を伝えるところから始めてみようと思う。

そして、おそらく真剣にサッカーと向き合えるのもあと2年。これまで以上にサッカーと向き合い、チームメイトとスタッフの方々と支え合って新たな近大サッカー部を作っていきたい。
後悔のないように、必ずやり切る。




最後に僕がこれまでサッカーをしてきた中で大事にしている言葉を一つ紹介したいと思います。

「現状維持は退化」

人は常に進化していくものである、立ち止まってしまうとそこで成長は止まる。
昨日やったが、今日はやっていない。
この考えである時昨日の自分に負けているということになる。成長とは、極端にいうと昨日の自分と今日の自分とで生じる差から生まれる。

成長するためには挑戦しなければならない。失敗を恐れて挑戦せず今のままであれば成長には繋がらない。失敗することも1つの成長である。失敗ではなく挑戦しないことが1番の退化である。

時間は有限である。時間が進み続けるその中で成長しようとせず現状維持をしようとする考え、それはつまり退化と同義である。

ずっと三日坊主だった僕が有言実行するために、意識していた言葉であり、成長させてくれた、強くしてくれた言葉です。これからもこの言葉を一つの糧として進化し続けたいと思います。

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