はじめまして。近畿大学体育会サッカー部経営学部経営学科2回生の中村榛です。
初めてブログを書くので、拙い文章ですが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
僕は6歳の頃からサッカーを始め、始めた頃からサッカーが大好きで大好きでその頃からサッカーに対して自分は大きな魅力を感じていただと思う。最初からポジションはずっとFWでプレーをしていました。そうなるとやっぱり得点に絡むのが増えて、最終自分が決めてチームが勝つというのがとても嬉しかったんです。そう思うようになった時から自分の中でもっとゴールを決めたい、もっともっとサッカーが上手くなりたいという意思が芽生え、その時から今まで変わらず目標はプロサッカー選手になることです。
高校は近畿大学工業高等専門学校(いわゆる高専)に進学しましたが、中途半端な結果ばかりで思い描いた通りの結果が残せかったしそれがめちゃめちゃ悔しかった。それでもサッカーに対する向上心ややる気が落ちることはなく常にサッカーに本気で取り組んだ。3年になり高専は5年制なのでそのまま4、5年に上がるのが普通だけど僕は大学へ編入学するという道を選択しました。でも親には面倒見るのは高校までだからねと言われていたので親は大学へ行く事は反対されましたがそれでもなんとか説得して厳しい条件なども出されましたがなんとか行かせてもらえるようになりました。
そこから近畿大学サッカー部に練習参加して推薦をいただき近畿大学へ編入学することになりました。練習参加した時、そこではやっぱりレベルの高さに驚きましたがそれと同時に楽しみにもなった。少しでも早く大学でサッカーをしたいという気持ちが強くなった。しかし高専は4、5年があるので3月までテストがありそれをしてからでないと編入は出来なくて新チームスタートしてから練習参加するのが1番最後でした。そして練習参加できるようになり紅白戦となると自分は1番下のチームのベンチで本当に1番下からのスタートでした。
それでも自分の中ではここからが勝負だ。絶対這い上がってみせるという強い意志を持って取り組んだ。みんながみんな上手くてレベルが高い集団だと思ったけどその中でも自分は絶対試合にも出て活躍してやるという気持ちだった。
コロナでの活動停止が明けてから思うように練習などもできるようになり紅白戦や練習も常に全力でやった。その結果トップチームにも上がり、上がって少ししてからも紅白戦などではスタメンで出させてもらったりもしてその年の初めての公式戦である天皇杯予選の大阪体育大学戦にも途中出場ではありますが出さしてもらい、負けはしましたがその試合はとても楽しくプレーできました。久しぶりの公式戦であり大学での初めての対外試合だったこともありとても印象に残っています。
でもそれからは思うようなプレーもできずすごく悩みました。そしてそんな自分が試合に出れるわけもなくまたBチームからのスタート。そしてそれからすぐ大麻による不祥事での約10ヶ月の活動停止。今までサッカーで悔しいことや辛いことはたくさん経験してきたけどこれが1番悔しく辛かった。
しかしこの期間に何もできないわけではなかった。この期間にすこしでもサッカーが上手くなるために練習したり走ったり鍛えたりいろんなことを試行錯誤しながら常に意識はサッカーに向けていた。一人暮らし組の子達とも近くの公園で筋トレをしたりサッカーもした。私はこういう追い込まれている時というのはその人の本質が問われる時期であり、この時期の過ごし方や取り組み方がすごく大切だと思う。
そしてまた近畿大学サッカー部として活動ができるようになって改めて思うのは、サッカーはやっぱり楽しいし大好きな仲間たちとも一緒にプレーできて、切磋琢磨しながらお互いを高め合うというのは素晴らしい事だと思った。そしていろんな人に応援してもらい支えてもらってるんだと実感しました。
大学サッカーはあと2年。この2年間がすごく重要だと思う。気を抜いている暇なんかないし常に本気でサッカーに向き合っていかないといけない。これまで支えてくれた家族や応援してくれる友達や周りの人達への感謝も忘れずに恩返しできるように全力で取り組む。そして小さい頃からの目標であるプロサッカー選手に必ずなってみせます。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
これからも近畿大学体育会サッカー部の応援よろしくお願いします。
初めてブログを書くので、拙い文章ですが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
僕は6歳の頃からサッカーを始め、始めた頃からサッカーが大好きで大好きでその頃からサッカーに対して自分は大きな魅力を感じていただと思う。最初からポジションはずっとFWでプレーをしていました。そうなるとやっぱり得点に絡むのが増えて、最終自分が決めてチームが勝つというのがとても嬉しかったんです。そう思うようになった時から自分の中でもっとゴールを決めたい、もっともっとサッカーが上手くなりたいという意思が芽生え、その時から今まで変わらず目標はプロサッカー選手になることです。
高校は近畿大学工業高等専門学校(いわゆる高専)に進学しましたが、中途半端な結果ばかりで思い描いた通りの結果が残せかったしそれがめちゃめちゃ悔しかった。それでもサッカーに対する向上心ややる気が落ちることはなく常にサッカーに本気で取り組んだ。3年になり高専は5年制なのでそのまま4、5年に上がるのが普通だけど僕は大学へ編入学するという道を選択しました。でも親には面倒見るのは高校までだからねと言われていたので親は大学へ行く事は反対されましたがそれでもなんとか説得して厳しい条件なども出されましたがなんとか行かせてもらえるようになりました。
そこから近畿大学サッカー部に練習参加して推薦をいただき近畿大学へ編入学することになりました。練習参加した時、そこではやっぱりレベルの高さに驚きましたがそれと同時に楽しみにもなった。少しでも早く大学でサッカーをしたいという気持ちが強くなった。しかし高専は4、5年があるので3月までテストがありそれをしてからでないと編入は出来なくて新チームスタートしてから練習参加するのが1番最後でした。そして練習参加できるようになり紅白戦となると自分は1番下のチームのベンチで本当に1番下からのスタートでした。
それでも自分の中ではここからが勝負だ。絶対這い上がってみせるという強い意志を持って取り組んだ。みんながみんな上手くてレベルが高い集団だと思ったけどその中でも自分は絶対試合にも出て活躍してやるという気持ちだった。
コロナでの活動停止が明けてから思うように練習などもできるようになり紅白戦や練習も常に全力でやった。その結果トップチームにも上がり、上がって少ししてからも紅白戦などではスタメンで出させてもらったりもしてその年の初めての公式戦である天皇杯予選の大阪体育大学戦にも途中出場ではありますが出さしてもらい、負けはしましたがその試合はとても楽しくプレーできました。久しぶりの公式戦であり大学での初めての対外試合だったこともありとても印象に残っています。
でもそれからは思うようなプレーもできずすごく悩みました。そしてそんな自分が試合に出れるわけもなくまたBチームからのスタート。そしてそれからすぐ大麻による不祥事での約10ヶ月の活動停止。今までサッカーで悔しいことや辛いことはたくさん経験してきたけどこれが1番悔しく辛かった。
しかしこの期間に何もできないわけではなかった。この期間にすこしでもサッカーが上手くなるために練習したり走ったり鍛えたりいろんなことを試行錯誤しながら常に意識はサッカーに向けていた。一人暮らし組の子達とも近くの公園で筋トレをしたりサッカーもした。私はこういう追い込まれている時というのはその人の本質が問われる時期であり、この時期の過ごし方や取り組み方がすごく大切だと思う。
そしてまた近畿大学サッカー部として活動ができるようになって改めて思うのは、サッカーはやっぱり楽しいし大好きな仲間たちとも一緒にプレーできて、切磋琢磨しながらお互いを高め合うというのは素晴らしい事だと思った。そしていろんな人に応援してもらい支えてもらってるんだと実感しました。
大学サッカーはあと2年。この2年間がすごく重要だと思う。気を抜いている暇なんかないし常に本気でサッカーに向き合っていかないといけない。これまで支えてくれた家族や応援してくれる友達や周りの人達への感謝も忘れずに恩返しできるように全力で取り組む。そして小さい頃からの目標であるプロサッカー選手に必ずなってみせます。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
これからも近畿大学体育会サッカー部の応援よろしくお願いします。