【予習】宗教単元

【予習】宗教単元

◎事前課題に対する仮説

 以前は、宗教を信仰することは身近なことではなく、特定の宗教に近い位置にいる人は自分にとって特別な、何か違う存在のようなイメージを持っていた。しかしその考えは高校で世界史を勉強して大きく変わった。ヨーロッパ史などを概観していく中で、当時の彼らにとって宗教というものが、決して特別な非日常なものではなく、あくまで密接に生活世界に関わっており、むしろ生活そのものだったことが少しわかり、宗教そのものに対する感覚が変わった。
 その上でこれまで勉強した中で、今の私の生活も、そうと自覚はなくても非常に宗教的だということを学んだ。何の気になしに年中行事にしっかり参加しているだけではなく、いわゆる「推し」に対して半ば盲目的に慕っている面がある。このように考えると、宗教というと私たちは一般的に名前が知られている特定の教義のものを思い浮かべがちだが、宗教であると宗教的であるというのは少し違うように感じている。では宗教的であるとは何かを考えたときに、私は「一貫性」というのが一つの要素ではないかと仮説の段階では考えている。自分の行動の根拠を持つこと(この信念に従って、というように)、指針を持つことが宗教的であることの1つのポイントであり、その意味で今の自分の生活も宗教とは決して切り離せないものだと感じた。

◎課題図書・資料・フィールドに触れて

▼課題図書「聖と俗/ミルチャ・エリアーデ(著)」or「意識と本質/井筒俊彦(著)

聖と俗/ミルチャ・エリアーデ(著)」を読んで
 課題図書で触れられていた、原初の宗教的価値観の表れである「聖なるものの」区別の方法は非常に興味深かった。秩序のない混沌の状態を恐れる人間が、「中心」を何らかの方法(祭壇、建築等)で定め、そこから自身の存在しうる宇宙をつくる。そして時間自体も、彼らの言う「神」的なものが生まれたそのときが始まりであり、それは回帰可能で可逆性があり、その意味において「一連の永遠」たりうる。特に個人的には、その後の自然の非聖化というところが興味深かった。序章でも示されていたように、石を崇拝するといっても、その場合は本当に石という存在そのものを崇拝しているのではなく、それが含む「聖なるもの」を信仰しているという言葉の意味が、本書を読むにつれて少しだけつかめた。これを非常に俗的な今の私の感覚にひきつけて考えると、いわゆる文化的コンテンツの「聖地巡礼」もこれで説明がつくのではないかと思った。その場所が始めから聖地であったのではなく、コンテンツを通してそこが聖なるものを帯びる。それゆえ私たちはそこへ巡礼するし、そのことを特に疑問無く受け入れられているということは、そういった精神性や感覚を同様に持っているからなのだろうかと感じた。
 本書を通じて私が最も強く受け取ったメッセージは、非宗教的に見える現代人の我々も、宗教的人間から発生したものであり、非聖化の過程で生まれた存在なのであるということだ。本書内では日本周辺の文化への言及はあまりなかったが、他の文化の実例を見ている中でも、柱を世界の「中心」と見立てて住居世界をつくる過程(日本で言う大黒柱がこれに当たる?逆さ柱への忌避感も通じるものがあるかもしれない)や天と至高者が結びつくイメージ(天照大神など?)といった、私たちの文化にも通じると言えるような感覚があった。これらの意味においても、今の現代人とも言える私たちは宗教的なものの対置にあるわけではなく、そういった存在との境界は薄いばかりか、私たちが過去と呼ぶ宗教的人間とも実は連続体なのだということが、本書を通じて少しつかめたところである。
 最後に今回の問いに振り返ってみると、私が仮説の段階で抱いていた、私たちに無縁ではなく日常に溶け込んでいるものだというイメージはさほど大きく崩れなかった。しかし、その溶け込んでいるというのがどのようにしてであるか、そしてそれが溶け込んでいるように見える源泉には何があったのかというのが本書を読んで具体的に知ることができた。また「一貫性」というキーワードについては、半分はそう言えるものの、半分はそうでないというように考えるようになった。時間に関する感覚の章にもあったように、人々は宗教的価値観を原初のまま持ち続けるのではなく、ときに時代に応じて解釈を付け加えながら教義を信仰し続ける(よって解釈は変わっても教義自体は変わらないように)という姿が見えてきた。私たちの生活に根ざしているという点で、一種固定的に宗教を捉えてたが、回帰され、問われ直され続けている「聖なるもの」という概念を知り、イメージの幅が広がったというのが予習での気づきである。

考えたい問い
​ チームでの予習を通してもいろいろな疑問が生まれてきた。自分の予習も含めて、今後考えていきたいテーマは以下の通りである。

・現代の私たちは、どのように宗教的なものに向き合えばいいのか
 本の中では「非宗教的人間に向けて」というように書かれていたが、それと同時に完全に非宗教的な人間は存在しないとされていた。自分の行動が、何か「聖なるもの」への対処、宗教的なものかもしれないという自覚を持った状態での信仰は、無自覚な場合と違うのか。このように宗教的なものが言語化され、情報としても手に入れられやすく自覚しやすくなった私たちは、今後宗教的なものとどう向き合えばいいのかを考えてみたい。

・科学者は信者になりうるのか
 チームの話し合いの中でもでてきた命題だが、かつて人々が「聖なるもの」としてきたものを、言ってしまえば非聖化することが使命である科学者が、自ら進んで心から教義を信じる熱心な信者になることはできるのか。両方の価値観を同時に持つことができるのか、ということが気になった。

 課題図書を読んで考えたこととあわせて、予習内で浮かんできた問いを意識しながら広義に臨みたい

【予習】宗教単元
5件
山本 一樹
2022.01.14

宗教がいろいろな側面からの考え方があるのですね!
以前も記事を拝見させていただいてものすごく私自身べんきょうになりました。
これからもたくさんの記事を楽しみにしてます!

No Name
2022.01.12

生活していく中で、意外と宗教的なことをしているという部分もあるのですね。
今回の予習したことを授業で振り返って、自分ごととして落とし込んでみることも楽しい学びになりそうだと思います。

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