宗教に対する考え方の違いについて

【予習】宗教単元

◎事前課題に対する仮説

<宗教自体のイメージ>
高校生のときに自分が宗教に抱いていたイメージは「特殊」。大学生になってキリスト教の勉強をするようになってから、自分たちも宗教を信仰している部分があって、むしろ宗教に関わりがない方が特殊なのではないかと考えるようになった。
 
<宗教を信仰する人のイメージ>
自分の価値観の軸が定まっている芯がしっかりした人が多いイメージ。宗教を信仰していない私たちは生きる道を自力で見いださないといけないから芯を見つけるのがとても難しいと感じている。

◎課題図書・資料・フィールドに触れて

▼課題図書「聖と俗/ミルチャ・エリアーデ(著) 」or「意識と本質/井筒俊彦(著)

<課題図書と同じ考え方>
・(p.20)「人間には聖なる場所を選ぶことは許されない。」
私自身、第一志望校にギリギリで落ちて滑り止めの大学に入学し、自他ともに今の大学に入学してよかったと思えるようになったとき、人間がコントロールできない神の導きによって私は聖なる場所(今の大学)を選ばされたのではないかと考えた。日本にもある「縁」という感覚に似ている気がする。
 
・(p.78)「人間は祭の時以外でもその行動において、神々および神話的祖先の模範的仕事を模倣する。」
「こうあるべきだ」とする行動指針に従うことは非宗教的人間である私たちでもあると思った。具体的には「徳を積む」や「一日一善」という言葉に表れている。
 
・(p.122)「…すなわち人類は水から生まれたという考えである。」
洗礼や洪水に関する考え方を差し置いて、人間は母親のおなかの羊水で育ち生まれてくるところから、宗教的な感覚がなくてもわかりやすい考え方だと感じた。
 
・(p.144)「たといいかほど無宗教であろうと。自然の<魔力>を感じない近代人は一人もいない。」
特に災害の多い地域に生まれ育った日本人はとりわけ自然に対する畏怖の念を感じている人が多いと思う。大学で、富士山に対する特別な感情を表現した日本文学について読み解く授業を受けた際に、日本人の自然に対して抱く感情は他の国の人には理解しがたいほど根強いものだと認識した。
 
・(p.170)「即ち人間は生まれただけでは未だ完全ではない。人間は二度目に、それも精神的に出生せねばならない。」
今後の人生が後天的な環境によって左右される可能性が高いのが人間の特徴だと思うし、実際に七五三といった通過儀礼のようなものはいくつか存在するため想像しやすい。
 
・(p.195)「全く非宗教的な人間は、最も強度に非聖化された近代社会においてすら稀な現象である。」
宗教的な振る舞いをせずに生活をすることはほぼ不可能だと思う。例えば、一見俗っぽいが「推しのコンサートのチケットが当たるように、今から徳を積まないと!」と思うことは宗教的な振る舞いとも言える。ごはんを食べるときも、「命をいただいている」という意識をもって食べる場合は宗教的な振る舞いと言える。しかし、命をいただいているという感覚が薄れてしまっている近代社会において、ごはんを食べる瞬間が宗教的な振る舞いであると意識する人は少ない。
 
<課題図書と違う考え方>
・(p.15)「聖なる空間の啓示は人間に<固定点>を与え、それによって混沌たる均質性の中で<世界を創建し>、現実に生きる見当付けの可能性を与える。俗なる経験はこれに反して空間の均質性と相対性に留まる。真の見当づけは不可能である。」
両親や先輩といった人による指導を参考に、生きる道を自ら開くことができるものが宗教だという印象がもともとあった。予習MTGの中で、クリスチャンの友達から「宗教がなかったら何を指針に生きるの?」と聞かれて答えられなかったメンバーの話を聞いて、宗教が生活に与える影響が想像以上に大きいことに気づいた。
 
・(p.31)「宇宙論的に見ると、この宗教思想…から引き出されるあらゆる種類の結論…は、後になって考え出されたものである。」
私の勝手な宗教へのイメージは、真実(事実かどうかは問わない)に基づいて聖なる空間が設定されているものだと思っていた。例えば、イエスが水を葡萄酒に変えた場所だから聖地にしよう、みたいなイメージ。
 
・(p.35)「重要なことは常にそれが完全なコスモスであるということである。」
領地拡大を行う戦争のイメージが根強いせいか、宗教においても聖地は広さや環境を重要視するものだと勝手に思っていた。大事なのは「出来るだけ世界の中心に近く住むこと」だとすると、世界で起きている宗教紛争の理由もわかる気がした。
 
・(p.60)「こうして宗教的人間は二種類の時間のなかに生きるが、なかでも重要な聖なる時間は、回転的、可逆的、回復可能な時間という逆説的相貌を呈し、かつ人が祭儀によって周期的に回帰する一種の神話的な永遠の現在を表す。」
宗教的祭儀はあくまでも過去に立ち返るために行うものであると認識していたため、周期的に回帰する感覚はわかるが「永遠の現在」という感覚が引っかかった。伝統的なものを継続させることに重きを置く日本人にはない感覚なのかもしれない。
 
・(p.92)「宗教的人間は与えられたものではない。彼は神的典型に近づくことによって自分自身を作る。」
宗教特有の「こうあるべきだ」に従う宗教的人間にどこか受動的なニュアンスを感じていたので、自分自身を積極的に作っているという言い回しに引っかかった。ここに自分の意志は果たして存在するのだろうか。
 
・(p.136)「加入式は祭儀上の死と復活を含む。…彼が墓から起ち上ると、彼は新しい人間として認められる。なぜなら彼は二度目に誕生し、それも宇宙の母から直接に生まれたからである。」
「死」に対する感覚の違いを強く感じた。私の宗教的な感覚では、「よりよい死の世界」に行くために現世で徳を積む、といったように、「死」はゴールになっているが(輪廻転生などはここでは考えない)この本で書かれている「死」は通過地点と認識されている。日本人が他よりも「死」に関する話をタブー視する傾向があるのもこの考え方の違いからきているのかもしれない。
 
・(p.158)「…生理的行為が宗教的意味をもった…」
非宗教的人間が一切宗教的な振る舞いをしないということはありえないということはわかるが、生理的行為は宗教的な振る舞いとは言えないと考えていた。例えば、死に絶えそうなほどお腹を空かせた人が目の前にある食べ物をすぐさま食べる瞬間は、本能的な行動で、宗教といった行動指針に沿った行動とは言えないからだ。
 
<感想>
今まで私が勝手に抱いていた宗教へのイメージが変わったし、今まで正直理解できなかった様々な宗教的儀礼について、その理由を知ることで少し宗教のことを理解できたのではないかと思う。その一方で、私が持っている考え方とまるっきり違う価値観を目の当たりにするとどうしても理解が進まない部分がある。このモヤモヤした気持ちを大事にしつつ、予習MTGと講義に臨みたいと思う。

【予習】宗教単元
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2022.01.05

あけましておめでとうございます!!!
今年もPandoをよろしくお願いいたします!!!

宗教を知ることによって多様な価値観に触れるという素晴らしい学びがありますね。予習としてpandoを活用していただきありがとうございます!!!

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