【芸術単元復習】アレゴリーのまなざし

【復習】芸術単元

遅くなりましたが振り返り投稿です!

◎講義の内容

 今回の講義では、具体的な芸術作品についてではなく、そもそもである美学的なものの見方について学ぶことができました。その一つ一つは難しく、メモを見ながら振り返った今でも完璧には理解できていないと思いますが、その中でもいくつか印象に残ったテーマがありました。
 まずは、今回の前半のお話の中でメインとなっていた「美的判断は権利問題だ」というカントの考え方です。課題においても「形式主義」について考えましたが、芸術を考える際に、このような大きなそもそもの視点で考えることはなかったので興味深かったですが、では美的判断を権利問題と捉えることにどんな意義があるかはまだ掴みかねています。「主観的な公共性」など、キーワードも多く出たテーマでしたが、まだ理解にはほど遠いなと感じています。
 もう一つ強く印象に残ったのは「アレゴリー」の考え方です。一種LAP的とも言える批判的なまなざしの構造は、単なる批判の枠組みを超えて様々な場面で思考のヒントとなるものだと思いました。自分が今見ているものを、もっと違う角度から見ることができないのかと模索する姿勢は、芸術の範囲を超えてポイントとなるように思いました。例えば、私が予習記事で書いたアングラ演劇も、その当時の新劇に対するアレゴリーの中から生まれたもので、私の興味のある絵画主題である九相図も、美しさを別の視点から描いたものだと思います。「そこに抜け落ちているものは何かをみつめるのがアレゴリーのまなざしだ」という説明がなされていましたが、なぜそこからそれが抜け落ちているかは、良い/悪いという基準とは別にして考えることで、より広い何かが見えるようになるのだと思いました。

◎講義やリフレクションを受けて

 講義を受けて未だに捉え切れていない考えもいくつかありますが、その中でもいくつかのテーマや言葉が特に心に残っています。
 1つめは「美的判断は権利問題」というところで、反省的判断の説明の中で出てきた「きっと自分以外の誰かにも当てはまるだろう」という感覚です。それを全員が全員好むという「事実」ではなく、その中の誰かはきっと好むだろうという「権利問題」だという説明が、曲がりなりにも創作活動をしてきた自分の中ではすとんと胸に落ちるものがありました。高校生のときから物書きの端くれをやっていましたが、自分がそのような創作をすることを、自分でも半ば不思議に思ってきました。独りよがりで読み手を意識しないような作品を作ることに意味はあるのかと考える自分もいましたが、実はその奥には、このような「いや、きっと自分以外の誰かも気に入るはずだ」という無意識な自負があったのではないかと思いました。それを自覚することで何が変わるのかはまだわかりませんが、少なくともその考え方は多くの人が抱くものであり、重要な感覚なのだと知ることができたのは大きな学びでした。
 もう1つは「いつかそれを大事に思わなくなることは大切なことだ」という言葉です。アレゴリーのまなざしにも関係してきますが、何かが好きで、そしてこれからも寸分違わずそれを好きなのだろうとするだけでは、見えていないものが多くあると思います。何かが好きなら、では逆に何からが好きではないのか。なぜそれを大事に思わなくなったのか。これらを考えることは重要だと感じたと共に、「大事に思わなくなること」を言葉で肯定されたのが意外で嬉しいものでした。自分の自然な心の流れを大事にしながらも、もっと他の見方ができないか、もっと別の視点がないかを考えることは、芸術の分野に限らず必要な態度だと感じました。
 今回は切り口が芸術かつ美的判断に関するものでしたが、お話を聞く中で、それらが決して芸術の分野に限ったものではないことが少しつかめたように思います。また、予習MTG内では芸術について存分に語ることができ、これまでの講義の中でもかなり深めることができた回になったのではないかと思います。

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