【11月21日(日) 第6期芸術単元開催報告】

LAP第6期の芸術単元の講義を対面とオンラインのハイブリッド形式で開催しました。今回はNPO法人ドネルモの山内泰さんを講師にお迎えしました。

まずは、「美学」という考え方について教えていただきました。「美学」は単に芸術を扱う学問ではなく、様々な表現の様相に自分たちの価値観や問題意識を問いかける学問であるとし、本講義を通して、「正解」を求めるのではなく、自分なりに考えていく批判精神を身に着けてもらいたいとのことでした。これはLAPの「正解のない問い」に向き合う姿勢に通ずるものがあり、私自身の「美学」に対する考え方が変わったきっかけになりました。

その後、チームごとの事前課題の発表を行いました。思い入れのある作品として、一度訪れたことがあって印象に残っていた建築物「サグラダ・ファミリア」を紹介したチームもあれば、趣味として大好きな漫画「呪術廻戦」を紹介するチームもあり、題材を選ぶ時点で各チームの違いが表れている点が興味深く感じました。
また、形式上の特徴として、作品に対する受け手の感情に注目したチームもあれば、受け手が作品を主体的もしくは受動的に捉えていると指摘したチームもあり、仮に同じ題材を選んだとしても、異なる観点から作品を捉える多様な価値観に触れることができた発表でした。

事前課題の共有後は、「美学」がどのように生まれたのか、どのような観点をもった学問なのかについて学びました。活版印刷の発達で、本をいつでもどこでも読めるようになった近代では、今まで絶対真理と思い込んでいたことに対して疑問を抱いたり、自分たちにとっての価値や意義を見いだそうとしたりする学問が広がりを見せた美学の歴史を辿り、「自分以外の誰かにもきっと当てはまるはずだ」という証明はできないが何か法則性はあるのではないかと考えたカントの考えに触れました。個人的にカントのこの考え方は、「自分の好きな物を素直に好きでいること」の大切さを伝えてくれているような気がして、もっと自分の「好き」を大事にしようと思わされました。

講義の後半では、「アレゴリーのまなざし」と「ディシプリン」という考え方について学びました。「アレゴリー」は、「象徴(シンボル)」と異なり、「いまそうである」のと異なるあり方を示唆する考え方です。いわゆる「マイノリティ」と言われる人たちにとっての普遍性を考える「アレゴリーのまなざし」は、ジェンダー問題といった現代社会における課題を考える糸口になるのではないかと思いました。
「ディシプリン」は、内なる自然を支配・管理する「規律訓練」のことで、社会のあらゆる局面で求められるものを指します。自分自身をコントロールすることを半ば強制的に求められているために、いざディシプリンができていない人間を目の当たりにしたときに批判的な気持ちを抱いてしまう、という話はとても興味深かったです。バスの中で泣き出す赤ちゃんに対してムカついて怒ってしまう人を例に挙げていましたが、むやみやたらに怒ってしまった人を批判するのではなく、なぜそのような状況に追い詰められたのかという背景を考えることが大事だと思いました。

最後に、脚光を浴びた震災をテーマとした作品が、被災者の証言をもとにして描かれたものではなく、作者による創作であったことを理由に炎上したケースについて、問題の所在はどこにあるのか考えるグループワークを行いました。「あくまで芸術という創作物なので、謝る必要はない」、「何が書かれているかではなく、書かれているものに対して何を思うのかが重要なのではないか」といった様々な意見が出ました。
講義中に出てきた「どこからが芸術なのか」という疑問にも少し関連するような気がして、講義後もさらにこの問いについて考えを深めていきたいと思いました。

今回はLAPの考え方に紐づいた内容になっていたこともあり、物事に対する新しい「考え方」を知ることができた講義だったと私は感じました。
今回の講義を振り返って、受講生のみなさんはどのように考えましたか?
みなさんのリフレクションを心より楽しみにしております!

<文責:前田>

関連記事