仮定法は推量でしかない。
「あなたはなぜ高校に行くのか?」
この問いをディスカッション仲間と議論し始めてもう一週間になります。
周りに流されて何も疑問も持たずに進学し、
黒板の文字をただノートに書き写すだけの毎日を送っている。
こんな多くの日本の高校生の生き方に疑問を投げかけるような問いでした。
必ずしも行かなければならないわけではないし、
明確な目的を持っている人も少ないのに、
なぜ大多数の人が高校に通い続けるのか。
現代の高校生は「考える」ことを放棄している。
これが彼らの主張でした。
彼らは優秀な学生です。
確固たる信念を持って、常に「考え」て生きています。
自分の人生に真剣に向き合っているからこそ、
上記のような問いを立てたのでしょう。
しかし私は、白熱する議論を聞きながら思うのです。
確かに進学前、高校に進む意義を深く考えることはなかったし、
進学以外の選択肢を思い浮かべることもありませんでした。
それでも私は今、通っている高校に来て良かったと思っているし、
そこで大好きな今の友達に出逢えたことは、
何にも代えがたい宝物だと思っています。
今の毎日が幸せだと、心から感じられていること、
それが全てなのではないでしょうか?
今に満足しているのに、
今、ここにいることを選んだ過去を、
あえて批判的な目で以て振り返ることなど何の意味を成すのでしょうか?
「英語の仮定法なんてさ、推量でしかないやん?」
私の話を聞いた友達の言葉です。
「もしこうだったら…。」
「あの時こうしていたら…。」
そう言っても仕方がないと思うのです。
今が幸せ。
それが私の全てです。
過去を振り返るより、
この先どのような高校生活を送りたいか、
わーるずでどのように活動していきたいか、
将来どのような場で、
どのように活躍したいか、
どんな社会を実現させたいか、
そしてそのために今何をすれば良いのか…
未来に目を向け、その上で高校に通うことに疑問を感じたならば、
他の選択肢を探るのはその時で良いと思うのです。
私がどのような未来を思い描いているか。
それについては今後の記事で書いていきたいと思います。
ここまで読んで下さりありがとうございました。