言葉の奥の面影

どうもこんにちは。学習サロンPompadourの永田です。

突然ですが皆さん「です、ます」「だ、である」口調の使い分けって難しくないですか?
最近記事を書くときにPompadourの永田です。と名乗るのはいいのです。問題はそのあとです。

言葉の<無機質化>
名乗った後に学術的な記事を書きたいとき、どうすればいいのでしょう(ここから少々学術的になるため、口調変更)。「Pompadourの永田です。」と書いた後に「突然だが諸君、~」とはじめるのはあまりにも違和感を感じる。そもそも「だ、である」口調には人間味を失わせる、即ち<無機質化>といえる効力があるため、[名乗る]というあまりにも人間じみた行為とは相性が悪いのだ。

 実験レポートを書く際によく言われる注意点として、「だ、である」口調を使用することのほかにもう一つ。「私は~だと考えます。」というのはご法度であくまで「~だと考えられる」と客観性を持たせて書くというものがあるが、ここにも先述の<無機質化>が大きく関わってきている。実験レポートを書く者はできる限り0に近いところまで己を消去し、実験の客観性、一意性を高めねばならない。これにより、文字の奥に著者の面影を感じさせる「私は~」や「です、ます」は不適切となるのだ。

語尾の力
先述のように、「です、ます」やその他口調には発話者の人間性を確立させる効果がある。例えば某人気少年漫画の登場キャラクターに「~だってばよ」というものがある。これを聞けばあまりその漫画を知らない人でもキャラクター名くらいなら分かるのではないだろうか。ここから分かる通り語尾にはその発話者の個性、即ち人間性を特定、確立させる力がある。「です、ます」口調には「~だってばよ」ほどの強い衝撃はないものの、それが逆にあらゆるの人間の平均を想起させ、「ヒト」が書いているのだなと思わせる力がある。

結論として、「名乗ることと、だ、である口調は対極の役割をもち、同時に用いることは不可能」。

ここまで書いたのですが(人間性復帰)、最初に名乗るのをやめればいいと言えばそれまで。しかしまだまだ無名の我々としてはできる限り名前を広めていきたいため、名乗ることは必要不可欠なのです!

ということで今後も、名乗るときは「です、ます」口調、その後は記事次第で口調を変えていきたいと思います。稀に「Pompadourの永田だ」と名乗るかもしれないのでお見逃しなく。

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