地元と学生がフランクにつながるには、どんな努力が必要なのか?

私は、九州大学入学を機に福岡に越してきました。それまではずっと広島で過ごしてきました。九州大学伊都キャンパスがある地区は元岡という地域にあたるのですが、不思議なことに強い親近感を覚えました。それは住民の皆様の温かみ、それと日常風景にあふれんばかりに映る自然の美、この街の特性が地元に類似しているからなんだろうなって思いました。だけど、それと同時に大きな違いのほうにも目がいきました。それは地域のど真ん中に大学があるということです。私の地元は、工業地帯にあたりますが、居住域に侵入してくる施設は一つもありません。だから、入学早々からここ元岡の街では、学生と地域の住民との間に明らかな壁があるなと悟りました。本格的にこの課題に対して動き出したのは、大学1年生の夏休みです。当時私は、元岡の小学生・中学生・高校生の家庭教師をしていました。しかし、ここでは一般的な家庭教師とは違って、生徒の困りごとを聞いてあげる役割に徹する先生に近い感じでした。とある日、ある生徒のお母さんから、地域のお祭りに誘われました。そのお祭りで住民の方々に混ざり合って踊ったり、歌ったりしていた間は本当に楽しかったです。また、祭りの間は元岡地区の代表者さんともお話させてもらえました。後日、その代表さんが私を住民会議に招いてくださいました。その会議では「どうしたら地域行事に参加してくれる大学生を増やすことができるか」について話し合っていて、お祭りに参加した唯一の大学生ということで私が呼ばれたのでした。住民の方々が悩んでいた課題に対して、私はその根本的な要因にすぐ行きつけました。それは、九州大学生の日々の生活に元岡の存在が目に入ってこないからだと思いました。だから、(大学1年生の9月下旬)その会議で、元岡の方々に「私が、ここ元岡の九大生からの認知拡大に強く貢献します」と公言しました。

やってやると言ってから、約1年間本当にたくさんの九大生に元岡のイベントについてお話をしたり、SNS等での発信をしてきましたが、ふたを置けてみると元岡認知に大した進展が及ぼされていないこと気づきました。この時は本当に落ち込みました。

しかし原因は明らかで、1人で普及活動していたからだったと痛感しました。だから大学2年生からは、あえて元岡の住民だけの団体と、九大生だけの団体に所属して、内部から変えていこうという行動方針に変えていきました。時間はものすごくかかりましたが、功を奏して元岡小学校で定期的に行われる課外イベントで九大生が外部講師として参加する件数が増えてきて、また一方で元岡の住民が九大生のイベントに参加する例も増えてきました。

ここまでで見えたこととして、異なる価値観、異なる生き方をしている人たちの間に立って、どちらにも寄り添いあう姿勢及び努力が、互いの交流に結果的につなげていくことができるんだなと実感しました。

ゆえに、私は人と人を繋げる役割に徹していこうと決めました。「自分の労力の成果が、人々の豊かな生活につながる」、こんなやりがいのある活動はほかにはないと思っています。またこうしたBOND役はいつの時代にも、どの場所にも必要な存在だとも思っていて、今では、次のBOND役の育成もほかの活動と並行してやっていきたいと思っています。

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