コロナで失ったものは――『帰ってこないコロナ前の日常』

風邪ひいてたって会社にはいく、マスクしているのは風邪ひきか花粉症か不安症に人間か、手洗いうがいはやってればえらい、オフィスにはいつだって人がいて、仕事が終われば飲み会が待ってた。土日は外に出てランニング、息苦しさは自分の不摂生の証。電車はいつも満員で息苦しかった。子供たちは外で遊んで帰ってくるのは暗くなる直前。受験生の息子はインフルエンザワクチンを打って、打たなかった私は解熱剤でだましながら会社へ行く。

風邪を引いたら不安と心配に押しつぶされてPCR検査へいく、マスクはみんなしててしてない人はやばいやつ。手洗いうがいだけじゃ心配だからアルコール除菌も忘れずに、オフィスには出社制限で半分しかいないし、仕事が終わればみんなそそくさと帰っていく。土日はマスクをしながら人の少ない早朝にランニング。今ではもう慣れた息苦しさ。電車は押し合うほどではないけれど、近づく距離感が不安との距離感。子供には何とかマスクをつけようとするけど外して帰ってくる。だからもう遊びに行かせたくない。受験生の息子は来月になったらワクチンが回ってくると風のうわさ。私は副作用で寝込んでる。






ワクチン接種が進み、緊急事態宣言が空けて日常に戻ろうというちょっと人安心なニュースの中で、でも自分たちが戻ろうとした日常には戻らないんだろうなとふと感じました。
きっとマスクをつける人は必要とされなくなった後もコロナ前よりは増えているだろうし、オフィスを縮小した企業はリモートワークが増え、以前よりも少し、人との距離感に敏感になるんだろうと思います。
大学ではサークルや部活動がストップし2年が経過する中で、サークルが潰れたり、大学の学生文化が途絶えた、途絶えそうだという話も聞きます。
特に現2年生は大学に2年間通っていないため大学の友人がいない、非常に少ないと言うこともよく聞きます。一生の友人ができる大きな機会を逃してしまったまま卒業してしまうことのないように、これからの新しい日常で機会を得てほしい、作りたいと考えるようになりました。
僕自身、毎日会っていた友人と会うのが半年、一年ぶりという大きな空白期間を先日感じました。非日常に染まり日常だと感じていた中で、友人とじかに会うことが非日常になっていたことにショックを受け、失われた物の大きさを実感し、この文章を綴った次第です。
乱筆失礼いたしました。

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