若林 和
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ヒストリー

出身地

三重県

幼少期の暮らし、体験

幼稚園ー三重県、埼玉県

小学校ー埼玉県、神奈川県

私は三重県出身だが、幼少期は、埼玉や神奈川でも過ごした。この転校はいろんな世界を教えてくれた。そして、この「転校」が、私に様々な視点を与えてくれたのだと思う。

埼玉の幼稚園や小学校では、「みんな同じであること」が求められていたと思う。その同質性に憧れていた自分は、神奈川に転校してから苦戦した。神奈川の学校では、自由や個性が重んじられていて、校則もほとんどなかった。「普通」である自分は、小学校3年の1年間、虐められた。しかし、その時、いじめはいじめている輩だけが悪いのではなく、そのいじめている輩の背景にも問題があるということなどに気付いた。「社会学的な視点」を得られたと思う。その1年間が過ぎると、周囲が自分を活かしてくれ、個性や自由、寛大さ、子どもであることの大切さを教えてもらった。その上、生徒主体の学校出会ったため、主体性が得られたと思う。

そして、小学校6年の時は、中学受験を経験し、様々な世界を知ることができた。

また、私はジャーナリズムに興味があるが、この理由は小学校時代に次に示す経験をしたからだ。

小学校低学年の時、北朝鮮がミサイルの実験をしたというニュースが世間を騒がしていた。それをきっかけに、国際ニュースや平和問題、社会問題に興味を持った。そして、小学校3年生の時、朝日小学生新聞を購読して、ジャーナリズムになんとなく興味を持った。小学校4年の時には良き担任に巡り合い、このようなことに興味を持っているのはおかしな話でなく「個性」であると認識できた。小学校5年生の時は、藤沢市の派遣により、長崎に1週間、「平和」や「原爆」について学びにいけた。


中学・高校時代

鈴鹿高等学校 2020年卒業

そして、中学校1年の時に、「鈴鹿中学校・高等学校」に入学した。三重県に再び帰ってきたのだ。中学校の時は、Global Challenge Program in New Yorkにも参加し、対人関係こそ少しは苦戦したが、全てが順調であった。しかし、高校に入ると、ヲタクと運動部といったように「カテゴライズ」された。それが、ものすごく嫌いであった。頑固で、どちらにも入りたくもなく、気に食わない自分は、全てにおいて「中途半端」になっていた。学校社会から「個性」を求められているような気がして、居心地が悪くなった。しかし、そのような経験をしたお陰で、人とは違う価値観を手に入れることができた。また、そんな自分に対しても、「理解」を示してくれる友達もいるということがわかった。そして、ノリや直感的に判断せず、深く考えることの大切さを学んだ。

部活はテニス部(中学校)、吹奏楽部・コントラバス(高校)

大学・専門学校時代

立命館大学

小学校や高校での学校生活や、国際問題のニュースを見て、国内外の社会の構造やマイノリティ、ジャーナリズムについて学びたくなった。また、学際的に学びたかったので、立命館大学産業社会学部に入学した。念願の社会学を学んでいる。

そして、国際協力の活動をしたかったので、国際協力団体IROHAに所属することにした。

最高の仲間や先輩に恵まれ、日々学ぶことだらけだが、毎日楽しめている。

今は、「個」の世界である大学に入って、個人として生きる難しさを感じつつも、高校の「カテゴライズ」から解放され、充実した日々を送っている。

職歴

2020年3月 三重県津市の個別指導塾で講師

同年5月ー9月 京都市内のファストフード店でアルバイト

同年10月ー 京都市内の塾で事務

同年11月ー 不動産サービス「COSOJI」で無償インターン