菊地 紗希
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ヒストリー

出身地

東京都

幼少期の暮らし、体験

幼少期は「回遊魚」と言われたほど、ちょこまかして落ち着きのない子どもでした。隙間があれば何かがあるのではないかとそこに潜り探検気分を味わい、自分の見たことのないものを見れば手を出していたようで、昔から好奇心旺盛だったみたいです。保育園では園庭を裸足で駆け回っていたので、「1番汚い子を探せばあんただから見つけやすかったわ」と母から言われるような、いわゆるおてんば娘でした。小さい頃から悪さをしては怒られる5歳年上の姉を見て育ったので、そういった面では怒られることなく器用にそつなくなんでもこなすようになりました。その頃から姉に負けたくないと思い始めていたのか、とても負けず嫌いな子どもで、勝負事は自分が一番でないと気が済まない質だということを年長の時に自覚した記憶があります。

おてんばで負けず嫌いな私は小学生になっても変わらず、男の子にも負けたくないと思ったので、当時は男子のスポーツだとされていたサッカーで男の子達と遊ぶようになりました。しかし小学生は優しくありません。「なんで女なのにサッカーやってるの?」「お前下手だから一緒のチームになりたくない」等、彼らがおそらく無意識で言ったであろうたくさんの言葉に傷つきましたが、そこは負けず嫌いな私、「絶対に誰よりも上手くなって見返してやるんだ」という気持ちになり、小学3年の時にサッカーを習い始めました。そこから高校3年まで、傷つく言葉をぶつけてきた誰よりも長くサッカーを続けました。

中学・高校時代

中学時代はサッカーと勉強を両立させるために奮闘した3年間でした。教科が増え、テストも小学校に比べると難しくなりましたが、好きなサッカーを理由に成績を落としたくはなかったので、練習の合間を縫い塾に通いました。サッカーに関しては中学からは女子のクラブチームに所属しました。小学生の時とはポジションを変え、スタメンの座を得るために毎日練習をしました。1年間続けた習慣は身を結び、2年になる頃にはスタメンの座を得ることができました。ひたむきに努力をすれば、必ず成果は得られるのだということを実感した瞬間です。

高校に入学してもサッカーは続けていたのですが、チームは高校生以上の年代で作成されたものだったので、高校時代に全国大会を経験してきた大学生の先輩メンバーや社会人メンバーが勢揃いしていました。どんなに練習をしようと経験の差には勝てず、結局3年間ほとんど試合に出ることは叶いませんでした。このとき初めて本当の挫折を味わいました。実力もさることながら経験を積むことの重要性を痛感したため、多くのことを経験していこうと決心しました。

大学・専門学校時代

大学時代には、今まで経験したことのないことを経験したいと思い、アルバイトに趣味に留学にと、やりたいと思ったことを実行しました。社会人になる前に社会について学びたいと、カフェや家電量販店といった種類の違う接客のアルバイトをいくつかしました。

語学を学ぶことが趣味の一つなのですが、大学4年間で5か国語(英語、仏語、韓国語、ラテン語、古典ギリシャ語)を勉強しました。語学という学問から学ぶ文化や価値観はとても魅力的で、今現在も学びたい言語はまだまだあります。

大学4年次には、1年大学を休学してアメリカへ語学留学に行きました。ただ座学で学ぶのではなく、実際に現地の文化や人に触れながら英語を学びたいと思ったからです。アメリカでは語学だけでなく、堂々とすることや、自分の意見をしっかり言うことの大切さを学びました。様々な国の人々との出会いや辛い経験が私を一回りも二回りも成長させてくれたのだと思います。

まだまだ大学の4年間では経験できなかったことがたくさんあるので、これからも日々新しいことに挑戦し、多くのことを経験していきたいです。