おぎ
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ヒストリー

出身地

新潟県上越市

幼少期の暮らし、体験

年の近い兄についていき、近所の子供たちとよく遊んだ。身長が高く、他の子との違いに悩む。(幼稚園入園時に小学校入学コーナーの服を着るくらい)体の大きさから、周りから頼られることがありしっかりしなきゃ、と思っていた。でも泣き虫。

マイペースで凝り性だったので、いつまでもレポートや絵を描いていた。父母が美術館や芸術祭に連れて行ってくれたことから、美術や文化に興味を持つようになった。しかし部活動が合唱か、スポーツしかなく、合唱部に入部。これはこれで、とても楽しかったし、今でも合唱は好き。

中学・高校時代

兄が公立中学校でいじめのような扱いされていたことを知り、中学受験をし、地元の教育大学の付属中学に入学。小学校から持ち上がりの生徒が多く、小学生の友人達よりもパンチがきいた子が多く馴染むのに時間がかかった。美術部がほぼ幽霊部活だったので、友人の勧めから吹奏楽部に。その年から入れるコントラバスを担当することになり、教本とか映像を見ながら、練習した。楽譜が読めず、何度も友人に助けられた。


パッとしない中学生活をおくり、環境を変えたかったので、同じ中学の人が少ない高校を選択。今度は美術部に入った。中学で音楽が好きになり、軽音楽部の友人も多かったので、地元のライブハウスやカラオケによくいった。高校3年の時に体育祭で応援幕を担当させてもらい、それが優勝した。美術部みんなで作品を作ったり、美術系大学への
進学を決めたので、デッサンなど多く描いた。地元だと美術の予備校がなかったので短期で県外の予備校に通わせてもらったりした。

やりたいことに対し、肯定的でいてくれる家族には本当に感謝した。

大学・専門学校時代

秋田公立美術大学

それまで短大だった学校が、私の代から4年制大学になった。なんでもチャレンジできると思い、入学。風が強く、食料品以外の買い物をするためには500m近い橋を越えなければならない(冬は吹雪になる)という笑うしかない環境。1年の時から2年間大学祭実行委員を担当。大学の課題、バイト、掛け持ちで何個かやっていたサークルとで忙しく過ごした。


・大学の周りに空き家が多いので、空き家を学生向けのアトリエとして活用する取り組み
・美術教育を受けていない人の表現活動(特に知的障害、高齢者に抜けて)の補助と紹介冊子制作
・小学生向けの造形教室のアシスタント
・グループ展や展示設営
・芸術祭のボランティア
・友人たちとカフェ兼イベントスペースの運営(1つのトークイベントを主催)
・タイでの2週間のエンジニアリングワークショップに参加
・学芸員資格をとる(大学近くの美術館での実習)

少しでも興味あることには参加した。コミュニケーションデザインを専攻し、グラフィックや企画を学んだ。学芸員資格を取る中で、生涯学習の概念を知った。

職歴

印刷、広告、文具、デジタルコンテンツなどの制作会社をグループに持つ企業に新卒で就職。工場研修を経て、 印刷物メインの広告・企画・制作会社に配属。そこで制作・編集の仕事をしている。