生まれてから4歳までを東京都で過ごしました。家庭内ではよく話すが、幼稚園や習い事の場などでは人見知りをする子だったそうです。母親と離れることが嫌で、幼稚園の玄関先でよく泣いていたことを覚えています。
4歳の時に、親の仕事の関係で大阪に引っ越してきました。相変わらず人見知りはしていましたが、仲良くしてくれる友達ができたことで幼稚園から小学校まで楽しく通うことができました。
中学校では部活動でソフトテニスに励む毎日でした。今でも付き合いのある大切な友人に多く出会えたのも、この三年間でした。部活動では、目上の人に対する振る舞いや言葉遣い、仲間と協力することの大切さ、何かを達成することの喜びなど、多くのものを得ることができました。また、勉強面では英語に興味を持ち、高校での語学留学を決意しました。
国際科のある高校に進学し、二年生から行くオーストラリアでの一年間の留学に備えて、さらに英語を学び自信をつけました。しかし、オーストラリアに着いてまず目の当たりにしたのは、自身の英語力の未熟さでした。会話のスピード感についていけず、周りに馴染むことができなかった私は、自分の殻に閉じこもり一人で過ごすようになりました。そんな私を救ってくれたのが、当時ホームステイ先にいたホストマザーでした。時間をかけて私と向き合い、たくさんの言葉をかけてくれました。彼女との対話のおかげで、自分が留学に来た目的を再認識し、立ち止まっていた半年を取り戻す為に動き出すことができました。日本に帰る頃には、これまでには考えられないくらい明るくよく話す自分と、自分の帰国を悲しんでくれる多くの友達がいました。
留学から帰ってきて進路について考えていた時、当時ニュースなどで取り上げられていたシリア内戦による難民について知り、自分にできることはないかと考えるようになりました。難民について調べ進めていくうちに、留学で培った英語力を生かして、難民の子どもたちが教育を受ける機会を作りたいと思うようになりました。これを理由に、国際情勢などについて英語で学ぶことのできる大学・学科に進学を決めました。
大学に在籍した四年間では国際関係学を専攻し国際情勢について学んだほか、英語以外の外国語、教育や人権、法律、環境問題など多岐に渡って勉強しました。様々な分野を勉強していくうちに、難民支援を実際に仕事として生きていくことの難しさを知るようになりました。
同時に、環境問題について興味を持ち、深く学び始めました。メディアなどで多く取り上げられているにも関わらず、一向に解決に向かわないこの問題に対して、自分ができることはないかと考えるようになりました。幼い頃から何かを造ることが好きだったこと、純粋にインテリアが好きだったこと、留学先で受けた環境に配慮した家づくりについての授業が楽しかったことなど、複数の要因が合わさって、インテリアデザイナーとして環境問題の解決に貢献できるのではないかと考えるようになりました。何十年もの間使い続けられる住宅が変われば、少しでも問題解決の近道になるのでは?住宅や家具など誰にとっても身近なものが変われば、多くの人が環境問題を意識するきっかけになれるのでは?このような思いで、現在インテリアデザインを学んでいます。