写真と人とカンボジア
趣味でカメラを持ち歩く。
写真は僕にとっての師である。
写真はもちろん記録媒体である。
それと同時に、僕が何気なく過ごした時間を止めてくれる。その時に、ただ平凡に過ごしているだけでは気づけないこと、大事なことに気づかせてくれる。
僕の趣味は旅行である。
知らない人に話したり、その人の考えてることを聞いたり、
ただその現地の人が仕事をしたり、家事をしたり、遊んだり、そんな生活を眺める
僕が歩むことがないであろう人生を間近で感じる
旅もまた、僕の師である
なぜカンボジア
別に深い理由などない
しいて言うなら、珍しいから
僕はカンボジアで写真を撮る
たくさんの師に囲まれながら写真を撮る
カンボジアの子供たちの笑顔は特別な感じがする。屈託のない笑顔だからだろうか。見ている人々を幸せにする。僕は撮り終えた写真たちを見て、いつも不思議な気持ちになる。なぜかわからないが
幸せだなと
それは、僕が思い出というフィルターにかけてこの写真を見ているからなのかもしれない
でも、僕はそう感じる
そうして、僕は幸せになる
しかし、
僕は彼らの幸せが何かわからない
写真は教えてくれる
彼らの幸せは今、日本の文化にずぶずぶの僕には到底理解できないことを
写真は教えてくれる
僕らが価値を置くこと以外のことに価値があることを
僕が歩むことは決してない人生を彼らは歩む
そのことを写真は教えてくれる
ぼくが決して歩むことのない人生を
僕はそんな彼らが幸せになれば、彼らの将来がより良くなれば、勝手にそんなことを願っている。勝手ついでに僕らは、彼らに学校をプレゼントする。もしかしたら、彼らの両親は子供に家の手伝いをしてほしい、学校など欲しくはない。そんなことを考えているかもしれない。学校を寄付することは必要とされていないかもしれない。しかし、僕らは建設する。究極のエゴイズムだ。(そうすることで僕たちの偽善や承認欲求が満たされるのかもしれない)
僕らは、僕らのしたいことをする。勝手にしている。
やりたいをやってお金を集め、やりたいように学校を建設する
あわよくば、彼らが幸せになってくれればいい
やりたいをただ誠実にやるだけだ
‘やりたいが認められる社会に‘
Pumpitのミッションである
僕はそんなこの団体が大好きだ
“ワクワクで、出会うみんなをHappyに”