旅と私

旅は時間の流れと共に色々な感情を私たちに与えてくれる。行く前、行っている時、行った後、それぞれ旅に出た人は色んなことに頭を巡らせ、色んなことを感じる。 

旅に行く前のワクワク感が大好きだ。旅先に着いたら何処に行こう、何見よう、何を食べようなんて考えながら空港で待ってる時間が特にたまらない。飛行機の窓から離陸、着陸の瞬間を見るのが常で、飛行中も機内食を食べながら、音楽を聴きながらただただ遠くまで続くふわふわの雲を眺めたりもする。そんなワクワクを溜め込んで旅先に着くと、想像してたワクワクを現実の物として出会う喜びを噛み締める。

旅に出るとその旅先でその地固有のモノを見て心を動かされる。クロアチアのプリトビチェで新緑の国立公園を見た時、オランダのアムステルダムで数多の絵画の傑作を見た時、イタリアのフィレンツェでパリパリのピザを食べた時、中国の北京で見渡す限りの長城を見た時、フィンランドのヘルシンキで数々の可愛い雑貨を見た時、スペインのバルセロナでパエーリヤを食べた時、トルコのカッパドキアで無数の気球の浮かぶ空を見た時、色んな旅の場面場面で自分に衝撃を与えた瞬間は旅の産物として「思い出」となり、旅を終えた後の自分に残り続ける。 

旅での経験は旅を終えると思い出として節々で懐古される。でも旅のワンシーンを思い出そうとする時にそれが嘘みたいにぼやけてしまう事がある。旅行から帰ってきて数年経つと、あんなに感動したはずの風景をどこで見たかわからないといったことがよくある。それは自分をがっかりさせ、同時にもう一度その場所に行きたい、でもどこかわからない、そんなもどかしい気持ちを抱かせる。でも旅はそういうものなのだと思う。 

新たな旅に出れば、また言葉にできないような景色に出会い、でもそれをまた忘れていってしまう。そういう儚い経験の連続が旅であり、でもその儚さを求めて旅に出るのかもしれない。結局、旅行とは不思議なもので帰ってきた後に印象に残っているのは壮大な景色や美術館で見た秀逸な絵画であることが常ではない。それは何気なく交わした旅の同行者との会話、現地の人の温 かいサービスだったりする。そして、そういう会話はその時よりも後になって私たちに人の温もりを教えてくれる。旅行は本来、モノを見に行っているはず。でも、実際壮大な景色や世界遺産と同じくらい偉大なものとして心に残るのは人なのだ。 

そんな素敵な景色と人の温もりを「思い出」に残す旅行は私を心底ワクワクさせてくれる、そんなものなのだ。

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