旅と私ー摩耗

命が擦り減っている感覚が最高に気持ちいい。

 未来のことを考えて生きる自分が憎い。存在するかも分からない、未知のものを信じて行動するよりも、今この瞬間を消費することに美を感じる。それなのに普段は将来を見据えた行動をしてしまう。この構造から抜け出すためには旅に出るしかないような気がした。

 バックパックひとつで旅をしていると、生きていることを実感する。初めて降り立つ土地で、地図を見ながら目的地を目指す。食事をする際は敢えて普段は食べないようなものを頼んでみたりする。言葉は通じたり通じなかったり、文字も読めたり読めなかったり。何も考えずに行動しても意外となんとかなってしまうのが旅なのだ。考えすぎても面白くないと思い、旅の最中はいつも深く考えないようにしている。

 綺麗な旅行ではなくバックパッカーを選ぶのは、ヒリヒリするから、理由はそれだけ。完全にラベリング効果だと思うが、バックパッカーとして旅に出ると思い切ったことをできる。まわりの目や、将来のことを気にする必要はない。ただその瞬間を楽しんでいればそれでいい。 

 たまに暇を持て余す時もある。私にとってはこれ以上ない幸福な時間である。私たちは最初から目的を持って生まれてきたわけじゃないから、これが本来の姿なのだと思う。「暇」と言うと、何か否定的な印象を抱くかもしれないけれど、考えてみてほしい。昼前に起きて海に向かい、陽が沈むまで会話する光景を。その相手は友人かもしれないし、恋人かもしれない。酒を飲んでもいい。そこに目的なんか存在せず、合理性の欠片もない時間だ。しかしこれほど幸せな過ごし方は他に存在しないと思う。普段の生活では出会うことのない、特別な時間だ。

 日々タスクに追われて暮らしていると、「生きている」ということを忘れがちだ。私たちに残された時間は常に減り続けているのに、まるで命には終わりがないかのように錯覚してしまう。しかし旅に出ると、「旅の終わり」向かっているということを意識せざるを得ない。旅は命がすり減っている事実を突きつける。

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