旅と私

 スポーツ漫画を読みながら、一つのことに全てを捧げる高校生たちの姿を見て、漠然とした憧れを抱く。自分もそんな中高生活を送っていたら…なんてスポーツに打ち込む自分の姿を想像してみる。

 英語がペラペラの友達を見て漠然と羨ましいなーって思う。自分も帰国子女だったら…なんて、流暢に英語を話す自分の姿を想像してみる。

 海外旅行に行った友達の話を聞いて、自分も行ってみたいって思う。一人で全部準備して成田空港から飛行機で飛び立つ自分の姿を想像してみる…

 そんな想像をする私はいつも自分の部屋のベッドにいる。ひとしきり想像して、少しすると、他人への憧れも羨望も全て忘れたかのように別のことに熱中する。そしてまた唐突に妄想を始める。そんなことを何百回と繰り返してきた。

 もし運動神経が良かったら、もし男に生まれていたら、もし絵が上手かったら… 私はいつだってないものねだりをすることしかできなかった。ただねだるだけで何もアクションを起こさない。自分はこうはなれないという気持ちがあったのだろう。何もせずに早々に諦める__

 そんな自分が腹立たしくなることもあるけれど、気分屋の私はそんな苛立ちでさえ一瞬で忘れてしまう。なにか心揺さぶられるような経験をしてもそんな気持ちすぐに色あせてしまう。そんな自分の性格を知っているから、「人は簡単に変われない」なんて陳腐なセリフを盾に自分と距離を置いて、理想と程遠い現実の自分の姿を案外すんなりと受け入れていた。

 そんな性格だから、「旅で人が変わる」なんて嘘っぱちだ、そう思っていた。旅行先で珍しい体験をしたり、絶景を見たり、美味しいもの食べたり、そういうのは素晴らしい思い出になると思う。でも結局は思い出止まりで、帰ってきてまた元の生活に戻っていくと共に、旅行での感動は薄らいでいく。旅行は人に感動を与えることはあれど、人を変える力なんてない、そう思っていた。

 そんな中、一つ大きな経験をした。同世代の人たちだけで海外に行く。生まれて初めてのことだった。自分と1つしか年齢の変わらない先輩が、何ヶ月も前から計画を練って私たちを牽引していくその姿が強く印象に残った。目的を持って行動する姿は、それまで19年間何の目的意識もなくだらだらと生きてきた自分にとっては眩しすぎるものだった。自分もこうなれるだろうか?そう自問しても答えなんてわかりきっている。NOだ、だって人は簡単に変われないのだから。

 日本に帰ってきた__その瞬間を境に、旅先での出来事は全て過去となり思い出となる。刻一刻と色褪せていく__はずだった。自分も先輩みたいになれるのだろうか?旅先で自問し、すぐさまNOと答えを出した、その問いがやけに自分の中で引っかかっていた。自分はもう変われない、一生このままなんだ、そんな思いとは裏腹に、変わりたい、理想像に少しでも近づきたいと思っている自分がいることに気づいたのは、帰国して何ヶ月も経ってのことだった。

 自分の理想像と現実の姿のギャップをとうの昔に受け入れていた私としては、この気持ちは意外だった。無意識のうちに抑え込んで、心の奥底で蓋をしていた「理想に近づきたい」という気持ちが、旅行をきっかけにその蓋が外されたような、そんなような気がした。

 かといって、いきなり何かが大きく変わるわけではない。でも少しずつ、本当に少しずつだけれど、理想像を目指して、行動しようとしている自分がいる。「旅で人が変わる」この言葉は嘘じゃなかった___そう言うにはまだまだ私は変われていないけれど、いつかこの言葉は本当だったよって、胸を張って言えるようになりたいと思った。

 

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