旅と私ー流れ

旅は、なるべく非合理的であれ、と思う。

計画とか合理性とか、そういった枠組みからはみ出しちゃった部分こそが、わたしにとっての旅だ。

今でも、あのとき見た夕日の柔らかなオレンジ色を、まぶたの裏にしっかりと呼び起こすことができる。世界が暗闇と沈黙に統一されていく少し前。だんだん暗くなっていろいろなものの境目が消えていく。町が静かに暗闇に溶けていく。まるで船が海底に沈没していくみたいね。そこには何事も超越してしまうような普遍的な美が存在していた。わたしはこの土地に脈々と流れてきた過去をちゃんと知らないし、おそらくこれからも一生部外者だろう。だけど、そんな過去とか未来とかどうでもよくなって、目の前の、膨大な、把握することは到底できそうもない「世界」と、ただひたすら対峙していた。流れる時間の全てが“幸せ”という既存の概念では収まりきらない感じ。無限の広がりを持った、温かい満ち足りた気持ちだった。

旅において、こうして川の流れに身を委ねるような時間が好きだ。

 観光地を周るのも、その地域の名物を食べるのも、新鮮で目新しくてワクワクしてすごく楽しいけれど、どこかガイドブックの行程をなぞる作業になってしまう。それらが義務と化してしまう。私たちにとって旅先で出会う風景は、“非日常”的だ。でも、それは誰かにとっての“日常”であって、その“日常”をエンタメとして消費してしまうのがなんか気持ち悪かった。

だから、ただ座って夕日が沈んでいくのを見るみたいな、何もしない時間の方が好きだ。何一つ特別じゃないからこそ、わたしにとってその時間と空間が「特別」だった。

あそこに行きたいというよりも、

目新しいものへの衝撃を求めてというよりも、

ほんとうは自分のことを忘れてしまいたいから、旅に出るのかもしれない。

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