「人生で最も貴重なもの」ってなんですか?
世の中がコロナウィルスに蝕まれて1年、いろんなことが変わり、その変化への対応を余儀なくされています。緊急事態宣言に伴い外出が制限され、通勤・通学事情も大きく変わりました。そんな中、従来では考えられないくらい「自分の時間」というものを感じた人も多いのではないでしょうか。さて、今日から、以前私がコーチから聞いたとても希少な話を紹介していきたいと思います。
「人生で最も貴重なものってなんですか?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか?
当時の私は、「家族」「娘」「健康」…、「"最も"と言われるとやっぱり娘かな」と答えたことを記憶しています。もちろん当時も今も、自分にとって「家族」「娘」「健康」はとても貴重なものです。ただ、その時のコーチの答え(「コーチにとっての人生で最も貴重なもの」)があまりにも当たり前にあるもので、かつその理由が非常に印象的・衝撃的であったため、それ以来とても意識するようになりました。それは「時間」です。
なぜなら、「時間は貯めることも、増やすことも、取り返すこともできない。ただただ減っていくのみだから。」人は亡くなると、その歳を「享年◯◯歳」と記されます。この「享年」は「天から授かった時間」という意味だそうです。つまり、人はこの与えられた時間しか持っておらず、刻一刻と残された時間は減っていっているということです。止めることも、増やすことも、取り返すこともできないのです。
このコロナ禍は、そのことを改めて問うているのかもしれません。コロナ禍以前は、なんの疑問も持たずに「決まった時間に学校や会社に行き」、「なんとなく授業や仕事をこなし」、「決まった時間に帰宅する」のが当たり前でした。ここに「自分の時間」を自分のために使っているという意識は殆どありません。しかし、今、「自分の時間」を感じることができるはずです。それは、拘束される時間がなくなったからです。つまり、本来当たり前であるはずの自分で制御できる時間が増えたからです。
さて、あなたは「自分の時間」をどう使いますか?
おはようございます ビーラボスタッフの小野山です
この記事を読んで、自分の中で時間という感覚がコロナ禍でどう変わったか、意識して思い出してみました。
確かに、コロナ禍以前の私は「学生」として時間を使っていました。自分で時間の使い方を選択していたのではなく、与えられたカリキュラムにしたがって、時間を過ごしていました。思考が停止した状態でも、自分の持つ時間を何かに使うことができていました。
しかし、コロナ禍で自分の時間を何に使おう?と、止まっていた思考が動き始め、
時間というものに「自分のもの」という感覚が生まれました。
改めて考えてみると、この感覚の変化は私の行動に主体性を生み出したと思います。
時間というものに「自分のもの」という感覚を持ち始めて自分に変化が起きたことに気づけて良かったです。素敵な記事をありがとうございました。
そうですよね。
普段、普通に生活していると気づかないですよね。
環境の変化って気づきのきっかけなんですよね。
是非、今回の気づきを大切にしてください。
> ここに「自分の時間」を自分のために使っているという意識は殆どありません。
これまでは日常に流されて確かに、その意識は希薄でした。今は、自分の時間を、まだ完全ではありませんが意識をして行動するようになりました。週末は、レクレーション(=娯楽)ではなくリ・クリエーション(=再創造)のための時間としています。本を読んだり、セミナーを受講したり、記事を書いたり、自分の専門性を深めたり、知らない業界の方とお会いして知見を深めるなどして、なるべく自分の市場価値を上げるようにしています。「個」で生き抜く力を持つことは当然で、社会に貢献できる状態を目指したいと思っています。