日本のメイクの歴史

こんにちは。日和のTです。

今回は日本の時代ごとのメイク変化について紹介します!



古墳時代
魔除けのために顔に赤い顔料を塗っていました。

飛鳥時代
大陸との交流によって様々な化粧品が輸入され、この時代から美容としての化粧が行われるようになります。
顔には鉛でできた白粉を塗り、口には赤い紅をさし、額や口元にはカラフルな色でペインティングが施されていました。

平安時代
この頃から日本独自の化粧法が生まれてきます。
顔に白粉を塗ることは変わりませんでした。理由として、大陸における“白い肌は美しい”という考え方の名残や白粉が高価であったために白い肌が高貴な身分の象徴だったことなどが挙げられます。色白が美しいという意識は後世まで引き継がれます。
また、眉毛は額に描いていました。それによって感情が表情に表れにくく、穏やかで高貴な印象を与えたそうです。
さらに、平安時代から頬紅お歯黒が行われるようになりました。お歯黒には虫歯予防の効果もあったそうです。

平安時代末期には上流階級の男性も化粧をするようになり、化粧をしていることが権力の現れでした。


鎌倉時代
権力の中心が貴族から武士になるにつれ、化粧法は貴族から武家、そして庶民にも伝わっていきます。
白粉は薄くつけるようになりましたが、その他はそのまま受け継がれていきました。

戦国時代
戦国時代の男性は戦いに敗れたときに醜くないように白粉で肌を白くしていました。
人によっては眉や口などにもメイクをしていました。

江戸時代
江戸時代になると、化粧品の種類も豊富になり、庶民にとっても化粧が身近なものになります。
白い肌は美人の条件であり、素肌を白くするためのスキンケアも行われていました。
白粉は胸元まで塗られました。また、鼻を高く見せるために鼻筋に濃く塗っていました。
アイメイクにも力が入れられ、白粉や紅を使って行われていました。
また、唇は光の加減によって色が変わる玉虫色にすることが流行でした。
花魁や歌舞伎役者などは流行の中心であり、玉虫色の紅も花魁の中から生まれたものでした。

明治時代~大正時代
華族にお歯黒と眉ぞりが禁止され、徐々に庶民もやめていきます。
また、鉛に毒があることが判明して無鉛白粉が開発されました。さらに、色付きの白粉も販売されるようになりました。
スキンケアにおいては、西洋からクリーム乳液が輸入され、普及しました。
西洋化や女性の社会進出に伴い、メイクのタイプも豊富になっていきます。

昭和時代~現在
戦前は“化粧は贅沢”と考えられていて政府によって規制されていました。
戦後になると白粉は使われなくなり、ファンデーションが普及します。
化粧品やスキンケア用品の原材料や種類が豊富になり、美しさの基準や流行の移り変わりも激しくなります。季節などに合わせて様々な方法で化粧が行われています。



興味があったら昔のメイクもぜひ挑戦してみて下さい!