怨霊から学問の神に 〜日本文化〜

こんにちは。日和のhinakoです。

梅の花の香りが漂う季節になりました。日本の梅の名所のひとつである天満宮ですが、境内にはたくさんの受験生が奉納した絵馬があります。菅原道真公を祭神として祀る天満宮は、「学問の神」として受験生からの信仰を集めています。今回は天満宮の由来についてご紹介します。

太宰府天満宮と北野天満宮

  • 福岡県太宰府に、道真公をご祭神として祀る全国約1万2000社の天満宮の総本宮。道真公のご墓所の上にご社殿を造営。
  • 京都府京都市上京区に、道真公をご祭神として祀る全国約1万2000社の天満宮の総本社。道真公の御霊を鎮めるためにご社殿を造営。

畏怖から信仰へ

道真公が仕えていたのは藤原北家を外戚に持たない宇多天皇の時代で、優秀であれば重臣に取り立てられた。しかし学者出身の政治家である道真公は、天皇の譲位により後ろ盾を失くし、その才能を妬まれて大宰府に左遷され、失脚したまま失意のうちに亡くなった。その後、京に落雷などの怪異が起こり、道真公の怨霊が原因とされた。この件により、雷雨神=天神と結びつけられた道真公は、鎮魂のため京都の地に北野天満宮として祀られた。これが天神信仰の始まりである。

学問の神へ

当初は学問の神としてではなく、怨霊の怒りを鎮めるという目的で祀られたが、江戸時代になり学問に秀でた道真公にあやかろうと、寺子屋では彼の肖像画を掲げて信仰する風習が広まった。そこから学問の神として崇められるようになった。

臥牛が神使とされる諸説

  • 道真公の生年が乙丑の年、亡くなった日が丑の日だから。
  • 道真公の御遺骸を乗せた車を引く牛が座り込んで動かなくなった場所をご墓所と定めたことから。  この説から神使は、ほとんど臥牛と呼ばれる座った姿勢である。
  • 道真公=天神=雷雨神であり、雷=雨は農耕に最も大切で、牛は農耕に必要な労働力だから。
  • 道真公が都にいた頃、迷い子牛を可愛がり大事に育てていたが、子牛は大きくなると去って行った。ところが大宰府に左遷される途中、刺客に襲われたが、その牛が現れて刺客を追い払い助けた逸話から。
  • 牛の歩みが着実なため「前進」「隆盛」「幸福」の象徴とされたのが、道真公の勤勉さとが重なり、撫でると夢を叶えてくれる撫で牛が祀られた説から。

飛梅伝説と梅紋

現在日本では花といえば桜だが、それは道真公より後の時代の話で、まだ遣唐使がもたらした中国文化の影響下にあった。つまり花といえば梅を指し、道真公も自宅に梅を植えて愛でた。太宰府に左遷される際に、その梅に向け和歌を詠むと、主人を慕って一晩で太宰府に飛来したと言う伝説があり、太宰府天満宮の神木とされる。

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花  主なしとて 春を忘るな
春の風が吹いたら その香りを太宰府まで届けておくれ 梅の花よ 私がいないからといって 春を忘れてくれるなよ

全国の天満宮など道真公を祀る神社が神紋に梅を象った紋を使用するのは、祭神が梅を好んだためである。




菅原道真公の優秀さや不運な人生について学校の授業で習いましたが、改めて調べてみると祟る怨霊を神社に祀り上げることで、時の流れにより学問の神という合格を願う受験生の神として、全国の人々からの信仰を集めるまでに変化した事が人の心とは不思議だなと思いました。

みく
2021.06.15

以前修学旅行で京都に訪れたときに足を運びましたが詳しい歴史まで知らなかったのでとても勉強になりました。