学生団体I-RIS2回生の柴田翔太です。
なんか全然ねれんなー。ほやけん、記事書こかなーって感じで今から書くけんちょっと読んでみとん。
僕は昨年4月に愛媛県から大阪に進学してきました。こっちに来てから“言葉”の素晴らしさをつくづく感じています。というのも、自分では全く気づいてなかったのですが、結構自分方言強いらしいです。笑
生まれて18年間ずっと愛媛で育った自分からしたらこの喋り方が普通だと思っていました。しかし、わずか350キロほど離れた大阪に来ただけで、こんなにも言葉が通じないんだなーと思ってはじめは正直びっくりしました。まぁ最近は慣れてきて周りのみんなもだいたい理解してくれてきたのですけどね!
私は現在関西外国語大学に通っています。そこで英語と中国語の2言語を勉強しています。
I study English and Chinese in Kansaigaidai University.
现在我在关西外国语大学学习英语和汉语。
この2つの文章は同じ意味です。当たり前のことですが凄いことだと思いませんか??
別の国、別の地域で全く形の違う言葉で育った人たちが意思疎通をすることができているのです。
現代の社会では英語と中国語が多くの地域で話され、学ばれ、英語に関しては国際的な言語になってきているのでより通じるのが当たり前だと思うかもしれません。しかし、そのような主要言語ではないラオ語も同じなのです。
私はこの春2回目のスタツアでラオスへ行ってきました。前回とは違い、小学校訪問で使えるであろう言葉を予めある程度覚えて行きました。やはり、言葉が通じると全然違いますね、笑とても実感しました。
何が違うかというと、やっぱり同じ感情を互いの会話の中で共有できた時の喜びが違いました。
たしかに通訳さんを頼ると意思疎通をすることが可能です。しかし、そこの仲介なく直接言葉が通じるとその場で感じられる感情があります。そこに“言葉”の素晴らしさを感じました。
一緒にチームのみんなを応援できて、喜びを分かち合って、感謝の気持ちを伝える。すべて直接言うことで互いに受ける感情は違います。
自分の方言の話からこんな話まで広がってしまって、言いたいこともうまく伝えられないのですが、みなさんも一度“言葉”の素晴らしさを考えてみてはどうですか??
最後まで読んでいただきありがとうございました。
学生団体I-RIS
柴田翔太