ギャップと葛藤

書こうかどうか、ずっと迷っておりましたが、
もしも、この活動をしている後輩が同じような葛藤や無力さを感じることがあったら、
その時のなにかの支えになればいいなと思い綴りました。
かなり長文になってしまいましたが、お付き合いしていただけると嬉しいです。


大学2年の冬の話です。
大学2年の春にJUNKOに所属し、夏に1か月現地で活動し、バタバタと秋学期が始まり、

当時の私は、初めて現地で行った夏の活動で感じたこと考えさせられたこと、想像と現実のギャップに向き合わずに春短期に行くかどうかを決める冬を迎えました

言葉にできないもやもやを抱えたまま、誰にも相談せずに。

12月に「春短期、参加するよね??」とメンバーに尋ねられ、
しかし、自分は活動に参加すべきなのか、活動の意義を見出せませんでした。


以前に書いたJUNKOに入った理由ときっかけ。
そして、高3の春休みから参加していたNPOの活動について話します。

幼い頃、テレビでみたカンボジアや他の東南アジアの国の子ども達、アフリカや紛争地域に住む人々を観て衝撃を受け、将来は彼らの役に少しでも立ちたいと考えていました。
以上が前回書いたJUNKOに入った理由です。

中学に入り、日本の貧困の現状を知りました。
そんな時、小学校の頃仲の良かった友達が経済的な理由で高校に進学することが出来なかったという話を聞きました。

彼がSNSで投稿した
「俺も皆と机並べて勉強したかった」
という言葉は、友達なのに何もしてあげることが出来ない自分の無力さを思い知らされたように感じました。

今ごろ私と同じ15歳の高校生なのにと幾度となく彼を思い出しました。
その思いから、気がつくと高校を卒業してすぐに貧困小中学生に学習支援を行なっているNPO法人で学生チューターの面談をしていました。

同時に、テレビで見たあの映像を忘れることは一度もありませんでした。



大学2年になり、自分の心にゆとりを持てるようになり、新しいことを始めてみようと参加したのが1年の頃にビラを貰ったJUNKOでした。
自分がやりたかったことに挑戦できると思いました。

JUNKOは学生団体ではなくNPO法人であるため、想像していたよりも複雑で、1年遅れて入った私には分からないことだらけでした。
忙しそうなメンバーを見ていると、分からないことを聞くに聞けずに悩みました。


初めて参加した短期では、言葉を失うような現状と、高層ビルが立ち並ぶ近代的な都市部とのギャップ。
本当に日々様々な想いを抱えました。

日本に帰国すると、一気に抱えた想いが降りかかってきました。

夏の間はJUNKOで活動していたため、学習室を休んでいました。
久しぶりに行ってみると、春に見たよりもずっと華奢になり骨が浮き出るほど痩せた学習室の子、学習室に来なくなった子。
笑顔の彼女を見て、ただただショックでした。国内の貧困支援をするために活動に参加したのに、自分はなにをしていたんだろうと分からなくなりました。。

一方で、靴が買えずに足にひどい炎症を負っていた少数民族のベトナムの子、靴を買えない状況と知らずにその子に「なぜ靴を履かないのか?」と尋ねていた現地大学生のダナンジュンコ。

農村地域の生活と都市部での生活

同時に、現地へ行ったことが、いかに生半可な気持ちであったのか。

眼で見て感じた国内の貧困とベトナムの貧困を消化することが出来ませんでした
自分の無力さを目の前に強く叩きつけられたようでした。
そして、自分がやっていることはただの自己満足なのではないか偽善なのではないかと何度も考えました。

もっと他に支援すべき優先順位があるのではないか。
日本国内の子どもの貧困は7人に1人と言われています。
国内とベトナムの貧困を目の当たりにしたとき、例え自分が活動したとしても、どちらも変えられない。どちらも寄り添えない。
なんて無責任で、中途半端で、無意味なのだろう、
では、なんのために活動しているのか・・・
自分の存在意義さえ見失いかけました。

こんなにも気持ちはぐちゃぐちゃになってしまったのに、
そんな気持ちときちんと向き合うこともせず、大学生活は慌ただしく何事もなかったように進み、大サポーター会という12月のJUNKOのイベントを迎えました。

そんな状態で短期に参加するかどうか迷っていたときに、短期に行かずに国内でメンバーのサポートするという選択もあると言うことを伺いました。

先輩と話し合い、何度も何度も何度も考えました。
私は、なんの取り柄もなく、無力で、弱く、よく重い責任から逃げてきました。
そして、考えても当時の自分からは答えは出ませんでした。
今思うと、もうパンク寸前で世の中に対しても、自分に対してもなんの希望も見いだせていませんでした。


初めて会ったベトナムの子ども達は、初めはとても警戒してこちらを見ていましたが、ずっと笑顔で話しかけていたら子ども達もケラケラ笑い、笑顔になってくれました。
自分に出来ることは、一緒に子ども達と笑って、1人でも多くの人の心に何らかの感情を引っ掛けることで人のために役に立つのではないかと思いました。

1人では何も出来ない。

春短期を行う2月は日本での学習支援をしている子供達が受験の時期です。
関わった責任はしっかり取り、サポートすると決め、春短期を行かないという決意をしました。

そのことで、本当に多くの先輩方や後輩、そして同期にご迷惑をお掛けしてしまいました。


JUNKOの活動から離れて、みんなが活動している中、ようやく自分と向き合う時間とり、
なぜ活動に参加したのか、なんのために自分がやるのかずっと考えました。

ベトナムで子ども支援を行う意味は??

凄くシンプルな答えにたどり着きました。
それはやはり笑顔でした。

自分が行くことで、一緒に笑顔になってくれる子どもたちがいる。
面白い、楽しいと思ってくれる子どもたちがいる。

同じ子どもたちの笑顔のために全力で活動しているダナンジュンコがいる。
彼らと、目の前にいる他の誰でもない子どもたちに全力で楽しんでもらい、楽しんだ先に、なにか新しいきっかけになる交流をする。

例え貧困が解消されるのが何年も先であったとしても、活動がどんなにミクロな影響でしかなかったとしても、

その笑顔を届けることに対して凄く意義を感じることができました。

そして、国内の貧困に対しても、新しい視野を持てました。
いま、自分が住んでいる日本で起きている貧困は、大学生である私がどうにかしようとするのではなく、
自立して、沢山の経験をした先に、大きな組織として動いて国内貧困の根本的な解消に取り組みたいと思えるようになりました。

失っていた希望が見えた瞬間でした。
それからは、JUNKOの活動、大学の勉強、学習支援の活動、どれにも積極的に参加し、主体的に動ける自分に変わっていました。

春短期はホームステイなどがある貴重な短期派遣であるため、参加できなかったことは凄く残念でした。
コロナで行けない今、改めて悔しいですが、この気持ちを忘れずに、
これからも活動していきたいと思います。

今見たら2800文字って書いてありました。
レポートのように長く、拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

中島 美音里
2020.07.29

ゆみちゃんの葛藤……とても伝わりました、、、伝えてくれてありがとう😢

浅見友美子
2020.07.30

美音里が書いていた【関わる責任】凄く共感した...!
誰もが様々な想いや目的を持ちながら続けている活動でこんなにも集まれて感謝しかないよ...いつもありがとうね!

TJ
2020.07.25

やっぱ子どもの笑顔が一番ですよね
原点にして頂点👶

浅見友美子
2020.07.25

まさに原点にして頂点...!✨

関連記事