コロナウイルスの終息が見込めぬまま4月が終わろうとしている。
そして、5月。5月7日はKatharsisの開業記念日だ。
今回、Katharsisの代表であり創業メンバーの1人、山本周雅の目線からこの1年間を振り返るべく、インタビューをした。
その中で語られたのは、自分に厳しく貪欲な周雅らしいKatharsisの姿であった。
創業のきっかけや、他の創業メンバーへの思いなど、普段「語らない」周雅の本音にフォーカスした。
「喋るのがしんどい。苦手だった」
語りBARをつくった当事者はそう語る。もともと家でもそんなに話すほうではなく、コミュニケーションをとるのが苦手であったらしい。確かに私が初めて周雅に出会ったときも無口な印象を受けた。
「Katharsisを創業したきっかけは友人たちとの飲み会の席だった。政治や哲学、恋愛について語るうちに自分の思っていることだけではない考え方に触れ、もやもやがパッと晴れる瞬間(カタルシス)があった。この体験をできる場所を作ろうと思った」
Katharsisに関わってくださった方なら一度はこの話を聞いたことがあるかもしれない。ではなぜ、「起業」という選択をしたのか。その根底には、彼の「全能者になりたい」という信念があった。
「京都大学に入学したのに、普通だなって。それでいいのかと思った。2回生になって何か行動に移そうとしたときに、留学か起業かという2つの選択があった。その中で起業を選択したのは自分が希少な存在になりたかったから。希少な存在になった時ってテンション上がるんだよね。京大受かった時とか。」
元々1年生の後期から、ビジネススクールに通っていた周雅。そこからKatharsis創業のための準備を始め、2019年5月7日に開業。
ここからはKatharsisが始まってからの話だ。希少な存在となった周雅から見て、今のKatharsisは思い描いた通りのものになっているのか?その問いに
「何も実現できていないし、不足しか感じていない」
という答えが返ってきた。では、どんな状態が成功なのだろう?
「2つのステップがあると思っていて、1つ目は理念と収益を両立できた時。2つ目のステップは、人々の人生選択の在り方を変えられた時。まず、収益を上げないことには要らないと判断されているから価値がない。そのうえで就職だけではない選択肢を考えられるだけの環境と力をつけられる場所と機会を提供していきたい」
それが周雅の理想とするKatharsisである。
この1年間も学生団体や企業様とのイベントや勉強会などBar営業だけではない様々な取り組みをしてきた。今後は昼事業としてコワーキングスペースや東京進出も考えている。次の一年で理想を体現したいと周雅は語る。
そして、この一年間ただがむしゃらに走り続けてこられたわけではない。
「8月ごろからお客さんが少なくなってきて、共同創業者である真徳や銀蔵とも考え方の違いが目立ってきた。相手の人間性が受け入れられないくらいになっていた。」
そもそも誰の目から見ても、共同創業者5名のうちこの3名(周雅/銀蔵/真徳)の考え方の違いは明らかだ。論理性の高い銀蔵と、知的好奇心が強くオリジナリティのあるアイデア発想力を持つ真徳。起業する際にあえて、自分に違う要素を持つ2人を誘ったらしい。
メンバーとの衝突もありながら、代表として、この一年を歩んできた。
そんな周雅のリーダー像は「不足ありまくりの代表」だそうだ。それを補うために人が集まってくる。ばりばり引っ張るだけがリーダーではない。
最後に自分自身の一年を振り返ってどう思うか聞くと、
「落ち着いた。Katharsisの理想形に自分が近づいていっているのではないか」と教えてくれた。2年前「話すのがしんどい」と思っていたところから始まった周雅の考えるKatharsisの理想型は「生きる軸の確立」された人だ。
まず自分自身が出来ていないと説得力がないから、これを体現していきたいという。
コロナウイルスで営業自粛が余儀なくされている中、周雅は焦らず、今できることをして、営業再開に向けた準備を進めていきたいという。
「人事尽くして天命を掴む」
自他ともに認める努力家の周雅らしい言葉だ。
この人が代表で良かったと感じるときがよくある。このインタビューをしていた時もそう感じた。
無口ながらも人をよく見ている。だからこそ、彼の周りには自然に人が集まってくるのだろう。
(インタビュー/文: Katharsisスタッフ 山下栞奈)
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周雅さんのリーダー像、とても素敵だなと思います。完璧な人には自分の存在意義が見い出せないですし、そう自負している人には力になろうとも思わないですよね。私も1人のリーダーとして、そういう姿勢も大切にしたいと気づけました!!
ばんぶーさん!
コメントありがとうございます😊
本人とメンバーお互いが自分の不足を認め、補い合えるのが良い関係だなあと私も常々思います。