読めば、少しだけ心が軽くなる(かもしれない。

コロナによる自粛期間が続く中、皆さんはいかがお過ごしだろうか。

僕の住む京都では、一部の飲食店が営業再開をし始め、それに合わせて人々のコロナへの恐怖感情のようなものが急速に薄れつつある、今日久々に外に出てそう感じた。

その変化の良い悪いに先んじ、その変化の波が人々を容易に飲み込んでいる、
そのことが恐ろしさ、そしてカタルシスの理念にも通じる可能性を、ふと感じた。


一応、前回前々回からの連続で、その最後になります。
ぜひ前回の記事(特に後半部分)を先に読んでくれたら嬉しいです。

カタルシスのこの一年

銀蔵
カタルシス

僕のカタルシスの原点

銀蔵
カタルシス

カタルシスのこの一年

銀蔵
カタルシス

さて今日は
・カタルシスのこれから、僕のこれからについて書いていきます。

先ずは、

僕が高校生の時の話。

弟が泣いていた。バドミントンで挫折したという。

弟はバドミントンに熱中していた。バドミントンは弟にとって唯一だった。

僕にはそれが不幸に見えた。
その時は何か分からない、不安さ、哀れさ、不安定さをその弟に感じた。


そして
・ コロナ収束への動きの波に飲まれ、変化する人々
・ SNSで威勢の良い主張を叫ぶ人たち
・ 学年が上がり就活を始める学生たち
・ 学生起業家
・ あなたしかいないの、と愛を叫ぶ人


僕は、そのどれもに似た不安定さ、を覚える。



言いたいことは何か。その不安定さを僕に感じさせる源は何か。


「絶対」の選択肢など無い、「普遍」の真理など無い
今、あなたが選んでいるその選択肢はあなたが今包まれている世界に規定されている


少なくともその視点が必要だと思う。

これである。

彼らのどこかに”絶対への盲信”を感じ、その選択を自身の主体的判断であると錯覚しているように感じる。
そのことに不安を覚えるのだ。


偉そうですよね、僕。
何が言いたいのか。笑

もう少し砕いてみよう。

わかりやすく例を作ってみよう。


就活生へ。

貴方が今就活と言う選択肢を取っているのは何故か。

「周囲がしているからではない。自身のキャリアを考えたときにファーストキャリアとして大きな組織に・・・」

では、貴方がキャリアを選択するのは何故か、例えば人々が働かなくても収入が入ってくる、BI(ベーシックインカム)のような制度があったらどうだろうか

「それでも、自身で価値創造という、自己実現を・・・」

では、貴方以外の周囲の人は労働というものに価値を感じない世界だとしたらどうだろうか、例えば、全ての労働はロボットが行う、奴隷が行う、そんな世界の場合、その自己実現が最適なのだろうか

・・・

うざいですよね笑
企業の圧迫面接ってこんな感じなんですか??

ましてや、こんな事を「お前は就活してないやん」の学生起業家が言ってたりしたら心底ムカつく。

では次に学生起業家をいじめてみよう。

学生起業家へ。

貴方が今起業という選択を選んでいるのはどうしてだろうか。

「大きな組織の労働力となるわけではなく、自身の力で0から何かを生み出す事に価値を感じる・・・」
「僕の感じた社会課題を解決する会社を作たかったから・・・」

確かに今の時代、学生企業はデメリットが少なく、実現性もある程度高いかもしれない
ではその社会構造がなかったとしたらどうか、学生向けの資金繰りの支援などない、スタートアップ向けのVCなんて無い、学生起業家はカリスマでは無く、無謀な愚か者、として見られる世界だったらどうか

「それでも自身の力だけで0から作りあげ、社会に価値を届け、最高の自己実現を・・・」

では、貴方以外の周囲の人は労働というものに価値を感じない世界だとしたらどうだろうか、例えば、全ての労働はロボットが行う、奴隷が行う、そんな世界の場合、その自己実現が最適なのだろうか

・・・


もちろんこれは少し極端な例だ。

回答もいじめる側も僕が書いてるし
他に「これなら反論できないだろう!!」という回答を持っている人がいるかも知れない。


ただ

僕が伝えたいのは

「貴方の選択肢は貴方が置かれた特有の ”今” / ”その” 世界によって規定されたものである、

と考えることができる

それならば、その選択肢は絶対の、普遍の、真理の選択肢たり得ない」という事。


「コロナが収まった。外に出よう。」
これを主体的に判断している人などいないだろう。

貴方は、今貴方の周囲の世界に操られ、そう判断をしているのだ。

そしてそれが普遍的な選択肢な訳がないのは、言うまでもない。


*こう考えれば、例えば「光は音よりも早い」ということまで疑い始めたり出来る、
(これ以上詳しく書くと、「我思うゆえに・・」とか言い出したり、その途中でボロが出たりするからやめとこう、
でもこういう論争はポストモダニズムという形で議論されているみたい。)


ただ、この議論を通して
少しは『貴方が今「正解」だと思っている選択肢、社会が「正解」だと言っている選択肢

その全てに疑いの余地がある』と少しは思えたのでは無いか。


ではどうしたらいいのだろうか。
何が正解の選択肢なのか、どうやって他の選択肢を見つけ、どこまで行けば全ての選択肢を網羅し、比較検討できるのか。


これに対する我々なりの答えが、カタルシスのVISION
「人々に未知なる選択の可能性を」だ。

前回でも説明したが、これは一つの選択肢を盲信するのでは無く、他の多くの選択肢に気付くことができる、そんな空間を目指している。
決して、学生起業家が就活生に「今の就活より良い選択肢」を傲慢に提示するものでは無い。

話を戻す。


正解に漸近するには、どうしたら良いのか。
それに対するカタルシスの答えが「人々に未知なる選択の可能性を」だ。

我々は、結局普遍的な正解、絶対の本質を提供する事は出来ない。
今日述べた懐疑的な見方をすれば、この世のサービスの全ては一部の集団における正解でしか無い。


そう、だからカタルシスでは

多くの集団の「正解」たちが集まる場所

すなわち未知なる選択の可能性を得られる場所

を届けるのだ。


新しい選択肢を知ることも、自分の選択が部分的な正解であることに気付くことも
「異質性」ー他の正解を持つ人たち との接触無しにはかなわない。


だからこそスタートが「語り」なのだ。
(勿論本を読むことも語りの一つである、しかし貴方の選ぶ本は今の貴方の世界に規定されているかも知れない・・・)

自分の世界の外の人と語り、その人を包む世界にくれることで、貴方を包む世界は前よりも広がり重なったものになり、

そしてその前には前よりも多くの選択肢が広がるであろう。


そんな異質性が集い、世界が広がる

そんな空間をカタルシスは作り上げたい。


営業再開後、カタルシスは東京の学生BARと有機的につながる。
それを皮切りに全国の若者が集う空間との繋がりを創造する。
多くの団体や企業と繋がり、様々な選択肢を提示する。

多くの団体やサークル・企業とのコラボイベント・就活系のイベント・テーマを設定した議論イベント・飲み騒ぐパーティー、もする。

そしてバーテンと一人客が2人、カウンターで3人の世界が混ざり合う。
そんな夜も変わらずお届けする。


貴方が、そして僕が、

人々が未知なる選択の可能性に気づけるように。




僕は、これからどうしようか・・・。


やはりまだ無数の未知の選択の可能性の広がる空の中のちっぽけな崖の上でいまだ羽を休めていたい。

もちろん、これは贅沢である。多くの人が妥協する本物を探し求めている。

今の日本社会は
資本主義的なイデオロギーが力を持ち、貨幣が呪術的に価値があると信じられており、教育というものの最終ゴールは大学機関だ。

その中で、できる選択をしていかなくてはならない。これはある意味正論だろう。
でも僕は、困った子なので。



多くの常識が少しづつ綻びを見せる、「今」僕はもう少し立ち止まり、考えていたい。


貴方とカクテルでも飲み、語りながら。



はぁ、後で読み返して恥ずかしくなるんだろうな。おしまい。





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