1章 人間の幸福の源泉
「ヒト」はなんのために生きているのだろうか?
そう聞かれればぼくはすぐに
「幸福のためだ。」
と答える。
すると「ヒト」の幸福は何から生まれるのか?と訊かれる。
この問は難しい。それこそ「人による」と答えるのが大多数ではなかろうか。
ぼくはこの問に対する答えを明確に持っている。
答えというよりは信じるものに近いのだが。
結論から言うと、「創造性の発揮」。つまり「生み出すという行為」である。
更に噛み砕いて言い換えるのであれば「独自の想いや世界観を表現する」ということだ。
ぼくがこのように信じるようになったのには明確な理由が存在する。
自分が「語り」をテーマにしたBAR Katharsis(カタルシス)を起業した経験の中で、自分の表現した作品に、ごく限られた人数ではあるものの、共にその価値を分かち合うという何にも代えがたい感動を得たからである。
そもそもだが、起業は一種の表現活動、創造性を発揮する手段であるとぼくは考えている。
起業といえばただの金稼ぎ手段と見られやすいし、実際そういった目的のみで動く人もいるのは事実である。
しかし僕の考える起業の本質は違う。
痛みや感動を自分の感性のみを頼りに捕らえ、小さな1歩でも世界が良くなるように、またそう信じて、感性が捕らえたものを「価値」あるものに昇華させ「かたち」にする。
ぼくが作ったカタルシスも、期待してきた大学とは裏腹に強く味わった閉塞感と一寸先の見えない焦燥感が根源にある。
それら一見どうしようもなかったものを一気に浄化(カタルシス)してくれたのが、仲間との酒を片手にした「語り」合いであった。
その「語り」への感動に可能性と価値を見出し、この経験未だにしたことのない人へ届けたいというところが原動力にあるのだ。
少し話は逸れたが、以上の様な経験や感動を「かたち」にし、さらにかたちにしたものから生まれる、仲間との感動を分かち合うという「感動の連鎖プロセス」が起業の本質であると考えているし、人間の幸福の真髄にあたるものであると信じている。
ヒトの幸福と独自の想いや世界観を表現することのつながりを少しでもお伝えできたのではないだろうか。
2章 ベーシックインカムと創造性
さて今回のタイトルをそろそろ回収しなければならない。
ぼくの人生のテーマを軽くご案内した後に、そこに潜む問題意識とその先の世界観、実現するための活動を綴ろうと思う。
「ベーシックインカム」についてだ。
ベーシックインカムの説明は簡単。社会制度の一つで、無条件に全員、生きている間ずっと定期的に生活に最低限必要な収入が支給されると言うものだ。
なぜぼくがベーシックインカムに興味があるのか。そこには先ほど述べた「創造性」に関する問題意識が潜んでいる。
僕は今の世の中に対し「創造行為に対するお金と時間の不自由さ」を投げかけたいのだ。
まずお金の不自由さというのは、ただ単にお金がないと言う個人の問題のことを言いたいわけではない。もっと広い社会の価値観だ。
創造行為に対しての評価のモノサシが金銭の大きさのみで測られ続けていると言うことだ。
簡単に言えば、以前よりましになっているものの、お金にならないが価値のあるものへの敬意がお金になるものになるものに比べ依然低いままである。例を挙げるのであれば、研究、ボランティア、趣味、ただただ好きなこと。仕事まで拡張すれば介護や教育、保育云々。
それ故、自分で自由に金銭に縛られない表現をしたいという人は、金銭で評価される世界に表現を制約し生活資金を稼ぐ。本末転倒ではなかろうか。
値札で担保された創造性にしか自由はない。
また時間もそうだ。
学生も社会人もゆっくりと思索に耽ったり創作に凝ったりする時間を取れる場合は少なく、連続かつ加速し続けるように人生を走り抜けなければいけない。
「マラソンの途中でゆっくりする自由」がこの世界にはないに等しい。
休めばそこでリタイア、失格なのだ。
それらのお金と時間の自由を担保できるのは、お金を元々たくさん持っているひと握りの人だけが許されているのかもしれない。過去の偉人が成人後、しばらく定職についていないケースが多いのだが、この事実は主張の一端をなすように思える。
言わんとするところとしては「表現の自由」が保証されているこの世界は想像以上に、構造的に「不自由」なのである。
多くの人間にとって「創造性の発揮」という人間の幸福の根源が奪われている最悪の事態なのである。
以上の問題意識に基づき、ベーシックインカムを支給することでより多くの人、もしくは無条件に全員に「表現の自由」を担保するべく提唱しているのだ。
終章 アントレ・ベーシックインカムと使命
最後にぼく自身がこれを実現するための1歩目の活動として「アントレ・ベーシックインカム」を紹介して筆をおこうと思う。
「アントレ・ベーシックインカム」とはベーシックインカムに「アントレプレナー」つまり「起業家」をくっつけた、ぼくオリジナルの造語である。ここでの起業家はかなり広い意味に捉えてもらえればいい。表現者全般を指している。
アントレ・ベーシックインカムの中身は、自らの創造性を遺憾なく発揮したいヒトに対して、一定期間お金と時間の最低保証をする施策である。起業でもアートでも音楽でもなんでもいい。表現活動に対しアントレプレナーシップ教育を施しながら、アイデアコンテストを開催し、優秀者にベーシックインカム1年間支給する。
そして、その1年間でコミュニケーションを図りながら創作に没頭し、自分にとっても社会にとっても、既存の枠に囚われない真善美の追求を勤しんでもらうのだ。
ぼくはこの施策を通じ、未だ表現の道に足を踏み入れていないヒト、創造行為に興味はあるが「不自由さ」に足枷をはめられてしまっているヒト、そんなヒト達にこそ歓びを知ってほしいのだ。
無論、自身で闇に飛び込み、その中の苦悩から創造においては本当に「いいもの」が生まれると主張する方もいる。そんな方からするとこの施策など「甘え」にしか映らないかもしれない。それ自体の考えは否定しない。
ただ、ぼくはあえてこう言いたい。
創造性の発揮という人類の最大の幸福の根源を知らない、もしくはその機会のないヒトに対し、表現への門戸を開くことは「甘え」であろうか。
ぼくは、人々にミチなる選択の可能性を与え続けたい。そう思うのだ。
行政と協力しながらもう直ぐ京都で実施する予定である。ぜひ動向を見守っておいて欲しい。協力をしたい方や参加したい方は、ぼくに是非連絡をいただけると光栄である。
長文を読んで頂きありがとうございました。まだまだ書き足らないところもありますので以後もより深いテーマで更新していこうと思います。
最後にぼくの人生使命を記し、締めくくらせていただきます。
京都大学総合人間学部5年/株式会社カタルシス代表取締役 山本周雅
2021.7.24 :最終更新
語り×Café&Bar Katharsis(カタルシス)
現役京大生が起業し、現在は大学生自身で運営している、語りをコンセプトとしたcafé&BAR。
百万遍交差点で毎日19:00~営業しております
吉野家前の看板が目印です
HPはこちら:https://www.katharsis-official.com/
Twitter,Instagramなど各種SNSも展開しております。お店の情報毎日発信中
Twitter:https://twitter.com/bar_katharsis
Instagram:https://www.instagram.com/bar_katharsis/
山本さん、素敵な記事ありがとうございます。深いね。ベーシックインカムに関して、この視点はあまりなかった自分がいます。確かに。ベーシックインカムがあることで創造性がなくなる、ではなく、ベーシックインカムを利用して創造性をはぐくむ。これはなかったな。勉強になります。