コンピュータ・シミュレーションの論点整理(経営科学の視点から)

こんにちは。岩尾俊兵研究会の吉岡耕大です。記事への訪問ありがとうございます。この記事は、コンピュータ・シミュレーションをどのように経営学分野に応用するべきかについてぼんやりと悩みながら執筆した記事です(執筆2023年8月11日)。できるだけ公開されている論文を根拠として示しながら執筆しました。今後の何かしらの研究の役に立つことを願いつつ、ひとまず、これまでに整理した内容を体系的にまとめることを目的としています。甘いところも多いと思いますが、修正や追加、削除などについては気がついたタイミングで随時行っていきたいと思っています。もし、読者の方がこの記事に書かれている内容に興味を持った場合には、必ず原典にあたっていただけると助かります。ちなみに、写真は今年の夏合宿のときに万国橋で撮影した夏雲です。



目次:
はじめに
1. 目的と分類
2. エージェント
3. ABSの利点
4. ABSの課題
参考文献



はじめに
     経営科学の観点から分析を進めるとき,コンピュータ・シミュレーション,特に,Agent-based Simulation (ABS) は有効な手段となり得る。オーストリアの哲学者カール・ポパーは反証可能性(falsifiability)を備えたものこそが科学的なものであると唱えたが,その立場を採るとき,経営学の手法としてその科学性を担保するためにABSを取り入れることは有効なことと言える。
     ある理論が反証可能性を備えた理論として存在するためには,「実験」を行うことが必要不可欠である。入念に条件が統制された実験により実験群と統制群とにおける有意な違いが認められたとき,はじめて,その有意な違いとは両群の違いにより生じたものであると言うことができる (長瀬, 2003)。この点において,経営学では,自然実験としての事例を分析することにより,ある2つないしはそれ以上の変数間の因果関係を主張しようとする傾向がある。しかしながら,事例を集めることのみでは相関関係までしか記述することができず,因果関係を客観的に示すことは難しい (長瀬, 2003)。
     こうした議論を踏まえて,「(人工社会)実験」としてのABSを経営学分野において使用することが注目されている。経営学分野におけるABSに関する展開は高橋 (2020) や稲水 (2021) に詳しい。以下,経営学におけるABSの導入に照準を定めつつ,ABSおよびその周辺事項について概観する。

1. 目的と分類

     そもそも,コンピュータ・シミュレーションを行うことの目的は何か。一つとして,事例から観察された現象がシミュレーション空間においても再現されることを確認することにある。さらには,事例から導かれた仮説の論理的妥当性を検証することにある (Eisenhardt et al., 2016)。現象を構成する要素を単純化の名目のもと選別し,シミュレーション空間上に再現することにより,単純化された要素の相互作用および因果関係を解明することが可能になる (鳥海・山本, 2014)。
     一般にコンピュータ・シミュレーション技法は以下の3通りに分類される(Harrison et al., 2007)。

(1)System Dynamics(SD)
(2)Agent-based Simulation(ABS)
(3)Cellular automata (CA)

これら3つのコンピュータ・シミュレーション技法のうち,経営科学の観点から最も研究に活かされてきた,もしくは,活かすことが期待できるものは(2)Agent-based Simulation(ABS)である。実際,組織ルーティン変化に関する研究において,ABSが有効であるという指摘が存在している(Miller et al., 2012)。以下,ABSに焦点を当てて検討を行う。

2. エージェント

     Agent-based Simulation(ABS)を検討するにあたり,はじめに,ここでのエージェント(agent)とは何を指すのかを明らかにする必要がある。エージェントとは,以下の4条件を持つ存在のことを指す (Gilbert et al., 2005)。

・自律性 (autonomy)
・社会性 (social ability)
・反応性 (reactivity)
・自発性 (proactivity)

     以下,4条件について簡単に述べる。自律性とは,自分自身の行動そのものの影響および外的要因からの影響による統制とは無関係な行動が可能である性質のことである。社会性とは,自分以外のエージェントとの交流を生み出す性質のことである。反応性とは,自分自身を取り巻く場に対する作用を生み出す性質のことである。自発性とは,環境に対する反応を生み出すことのみならず,自分自身が持つ何かしらの行動目的に照らし合わせて行動する性質のことである。
     ここに、エージェント自身を取り巻く場を「環境」,エージェント同士の交流,もしくは,エージェントと環境との交流を「相互作用」,相互作用というミクロな現象の蓄積により引き起こされるマクロな現象を「創発現象」と定義する。以下,これらの用語を用いて議論を進める。

3. ABSの利点

     Agent-based Simulation(ABS)の利点としては,代表的なものとして,以下の2つが挙げられる。

・相互作用による創発現象の確認  (Gilbert et al., 2000)
シンプル・セオリーの精緻化 (Davis et al., 2007)

エージェント同士の相互作用,および,エージェントと環境との相互作用により,ABS実行前と実行後を比較したときに,新たな現象が観察される場合がある。こうした観察により,シンプル・セオリーが整備された理論として確立される場合がある。なお,Davis et al. (2007) が言うところのシンプル・セオリーについて,稲水 (2012) は「ほどほどの経験的・分析的基礎を持つ少数の構成概念 と関連命題からなる未発達の理論」と定義している。

4. ABSの課題

     ABSを研究手法として採用する場合,それに付随する主要な課題として,「ABSに使用したモデルについて現実世界との整合性がどの程度あるか」,「ABSに使用したモデルの設定は恣意的なものではないか」,「ABSの結果から何かしらの新しい発見と呼べるものが見出せるのか」という疑問に答える必要が生じる (e.g., 和泉, 2000; 倉橋, 1999)。
     上記課題について倉橋 (1999, 2013) は,逆シミュレーション(inverse simulation)を行うことが有効であるとしている。逆シミュレーションにおいては,通常行われる順シミュレーションのようにパラメータの選抜およびその設定によりモデルを作成しシミュレーションを行うことはせず,代わりに,実際に観測されたデータとシミュレーションの結果が一致するようにパラメータを調整する。ただし,この手法は,評価関数を目的関数として設定することにより初期パラメータの評価を行うことから,経営科学のようなそもそも評価関数を設定することの難しさを伴う分野において導入することは容易ではないように思われる。
     現状,経営科学の観点からは先行研究レビューや事例研究をとおして帰納的に導かれた仮説をもとに,それをモデルとして練り上げることが限界であるように感じられる。その点において,ABSにより先行研究レビューや事例研究の背後に存在するシンプル・セオリーを理論として精緻化することの難しさがあるように思われる。モデルの妥当性を評価するための方法としては,ある要因がまた別のある要因に対する影響を与える様子がモデル内において再現されているかに関する統計的検定や,ABSの結果得られたデータについて初期パラメータやシミュレーションの試行回数に依存せずに得られるものであるかに関する統計的検定,もしくは,実際に現実世界で得られたデータとABSの結果得られたデータとの間に有意な差が存在するのかに関する統計的検定であれば実行が可能である。しかし,そのいずれもABSの結果を根拠としてシンプル・セオリーを精緻な理論として認めるためには不十分となる可能性がある。

(本稿終。2023年8月11日最終更新)

参考文献
Davis, J. P., Eisenhardt, K. M., & Bingham, C. B. (2007). Developing theory through simulation methods. The Academy of Management Review, 32(2), 480–499.

Eisenhardt, K. M., Graebner, M. E., & Sonenshein, S. (2016). Grand challenges and inductive methods: 
Rigor without rigor mortis. Academy of Management Journal, 59(4), 1113-1123.

Gilbert, N., Terna, P. How to build and use agent-based models in social science. Mind & Society 1, 57–72 (2000).

Gilbert, N., & Troitzach, K.G. (2005). Simulation for the social scientist (2nd ed.). Open University Press.

Harrison, J. R., Lin, Z., Carroll, G. R., & Carley, K. M. (2007). Simulation modeling in organizational and management research. The Academy of Management Review, 32(4), 1229–1245.

稲水伸行. (2012). 経営組織のコンピューター・シミュレーション JG March 系組織理論の発展の系譜. 組織学会大会論文集, 1(2), 69-77.

稲水伸行. (2021). エージェント・ベース・シミュレーションを用いた経営組織研究. 組織科学, 54(4), 33-43.

和泉潔, 植田一博人工市場入門(<特集>「人工市場」)人工知能 15 (6), 941-950, 2000-11-01 一般社団法人 人工知能学会

倉橋節也, 南潮, & 寺野隆雄. (1999). 逆シミュレーション手法による人工社会モデルの分析. 計測自動制御学会論文集, 35(11), 1454-1461.

倉橋 節也. (2013). 社会システムの研究動向4—評価・分析手法(2)— モデル推定と逆シミュレーション手法. 計測と制御52 巻 7 号 p. 588-594

Miller, K. D., Pentland, B. T., & Choi, S. (2012). Dynamics of performing and 
remembering organizational routines. Journal of Management Studies, 49(8), 
1536-1558.


長瀬勝彦. (2003). 組織的意思決定に関する実験的研究方略の再構築. 組織科学, 37(1), 44-55.

高橋伸夫. (2020). 日本における組織のシミュレーション研究. 赤門マネジメント・レビュー, 19(3), 77-98.

鳥海不二夫, & 山本仁志. (2014). マルチエージェントシミュレーション: 1. マルチエージェントシミュレーションの基本設計. 情報処理, 55(6), 530-538.

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