聞くことの責任〜ゼミ活動からpart3

こんにちは!スーンのちーなです♪
写真は2年前、昨年度のリーダーとの後ろ姿です!空がきれいです〜!

今日は、聞くことには責任が伴うということ、について書きたいと思います。
私は、人権教育のゼミに所属しているのですが、春学期はパウロ・フレイレの『希望の教育学』を読み進めています。

スーンの活動を考える〜ゼミ活動からpart1、part2はこちらです!
part1 https://pando.life/laos_sung/article/28825
part2 https://pando.life/laos_sung/article/28826

スーンの活動を考える〜ゼミ活動からpart1

ちーな
早稲田大学公認サークル ラオス学校建設教育支援プロジェクト〜スーン〜

スーンの活動を考える〜ゼミ活動からpart2

ちーな
早稲田大学公認サークル ラオス学校建設教育支援プロジェクト〜スーン〜

フレイレは対話型教育を実践しているのですが、対話をするということは責任が生じる、ということをゼミの中で話しました。

例えば、「あなたは幸せですか?」と質問して、対話しようとします。
もし、「幸せではないです」と返事が返ってきたら、私たちは、幸せにするために何かできることを考えなくてはいけないのではないでしょうか。

確かに、友達の悩みを聞く時も、聞いて「へぇ、、」では終われないなと思います。

人の話を聞くこと=責任が生じること、ある意味怖いこと

今までそんな風に考えたことがなかったので、ハッとさせられました。
そして、スーンでの家庭を訪問させていただく活動を思い出しました。
私たちは質問させていただくときに、責任が伴うことだと認識していただろうか?と。

もちろん、責任が伴うからお話を伺う活動を辞めます、というのはスーンの理念に反しているなと思います。
お話を伺う中で出てきた問題に対して、私たちは何か少しでもできることはあるのか?ということにじっくりと向き合うことが大切なのではないかと、考えています。

お読みくださりありがとうございました。

ちーな