「途上国」って何?と聞かれたらあなたはどう答えますか。
今回は、現地で感じたことを日本と比較してシェアしたいと思います。
「途上国って東南アジアとかアフリカとかの貧しい国で、衣食住が満たされず恵まれない人たちがたくさんいるところだよね。」
確かに間違ってはいませんし、ネガティブなことをベースに答える人は多いように思います。私も途上国に関わるまでは、制限されたことだらけだと思っていたのが事実です。そして実際に途上国と呼ばれる地に降り立ち、その国、人々、環境の中で生活することで様々な発見をしました。
ゴミに埋め尽くされた道路、生活が困難なほど傾いた家、生活排水で青黒く濁った川、外で授業を受ける子どもたち、そのゆがんだ黒板。解決しなければならない課題は山積しています。
しかしその一方で、私が心の中にしまった温かくて大切なものがあります。それは人々の「こころの豊かさ」です。
フィリピンでは、バランガイと呼ばれる最小自治区の一つを訪問しました。
細い路地には所狭しと家が建ち並び、幼い子どもたちが走り回ってにぎやかな印象を受けました。大人は家の前で食べ物を売ったり、自転車屋スクーターで移動したりしていました。人々はここで支えあいながら生活しているのです。私たちが列を成して路地に入っていくとみんなにこにこしながら私たちを出迎えて下さり、子どもたちも好奇心に満ちた目で手を振ってくれました。
英語の通じない高齢の女性がいました。本当は売り物だったはずのの果物やジュースを私たちに手渡してインタビューを受けてくれました。
「なぜ日本から来た言葉も通じない人をこんなに受け入れてくれるのだろう。」とても温かい何かに包まれているような感覚を覚えました。
1泊のホームステイをさせていただいた家族も、私たちを本当の家族のように扱ってくださいました。夜10時頃になって、家を出ていった子どもがいたので驚いて聞くと、その子はどうやら別の家の子どもだったそうです。我が子のように接していたため、まさか娘の友達だとは思いもしませんでした。
私たちが「めぐこ」のメンバーだから、代々に及んで築いてくださった信頼のおかげで受け入れていただいたことへの感謝もありましたが、人々が日常的に人を思いやるこころを持っていることを感じました。
この経験は「こころの豊かさ」を感じた一例に過ぎません。日本では核家族化が進み、防犯のためでもありますが、子どもたちは知らない人と話さないことを教えられることもあります。近隣の家の人ともほとんど会わず喋らない人もたくさんいると思います。それが当たり前でなんの違和感も覚えなかった私でしたが、途上国での経験により、それが最も大きな違いの一つであることに気づかされました。
日本では欲しいものがすぐに手に入り、「経済的な豊かさ」はあると思います。
しかし、孤立して自分や家族のことだけを考える私たちは「こころの豊かさ」が乏しいといえるのではないでしょうか。(コロナ禍において物資の買い占めが発生したことで特に、「こころの貧しさ」を感じてしまいました。)
もっとも、途上国の人々はものが手に入らないことを不便だとも感じていないかもしれませんが。