教育のカタチ

緊急事態宣言下で皆さんはどのように過ごしているでしょうか。
私は『脱学校の社会』(イヴァン・イリッチ著)という本に出会いました。
私の所属する「めぐこ」という教育支援団体での活動を否定されるような衝撃があったので、今回はそのことについて紹介したいと思います。

本書でイリッチは学校」という制度に対する批判を展開します。
インド・フィリピンの子どもたちを学校に通わせるという「めぐこ」の活動とイリッチの主張は相反するものでした。

「就学義務が大多数の人々の学習する権利をかえって制約している」1977年 東京創元社出版 イヴァン・イリッチ 『脱学校の社会』p.2より引用

たしかに学校という制度は完璧なものではないのかもしれません。休校を喜ぶ子どもたちや、一方で、学校に通えない子どもたちの勉強への強い意欲は、「学校制度は学習者を無気力にする」というイリッチの主張を裏付けているように感じます。

私はこの本を読むまで、教育、すなわち学校こそが、人々を貧困から救い、幸せにすると信じて疑わず、「すべての人に教育の義務を」というスローガンを自分の中で掲げていました。


ここでふと、私はカンボジアを毎年訪問しているシスターの話を思い出しました。

カンボジアなど開発途上国と言われる地域でも、国語や算数などの基礎科目の教育は先進国に追いてきている一方で、音楽や美術、体育など実技科目はほとんど行われていないということでした。そのため、正しい音程で歌う、縄跳びを跳ぶ、人の顔を描く、これらが苦手、あるいはそもそもその概念がない子どもたちが多いと聞きました。


「学校って何のためにあるの?」
「この科目は役にたたないんじゃない?」

そう思ってきた人も多いと思います。でも、学校があったからこそ私たちの当たり前の生活ができていることを気づかされました。

イリッチの考えに触れ、自分の活動に一度は自信が揺らいだ私ですが、これからもインドとフィリピンの子どもたちの教育支援を続けていきます。なぜなら、私にできることは、意欲ある学習者に学習の場を提供することだからです。その上で、学校制度の改善を模索していきたいと思います。

「全ての人に教育の権利を」

彼らの夢を叶えるお手伝いを少しでもできれば幸いです。