【お知らせ】あたりまえを問うために-卒業生が後輩たちに今を伝えるプロジェクトを始めます!-

あたりまえを問うために-卒業生が後輩たちに今を伝えるプロジェクトを始めます!-
キャリアデザインをはじめとした担当科目の発展を期待してくれている2016年度から2020年度までの卒業生が、
教材研究に協力をしてくれることになりました。

これまでも、多くの卒業生が学校に立ち寄ってくれるたびに、卒業後の様子をヒアリングし授業に反映させてきました。
卒業生には、ときに仕事の合間にレポートを書いていただいたりしながら、
少しでも現役生に「働く」「生きる」「学ぶ意味」を伝えるための材料を収集してきたわけですが、
あまり効率的ではありません。
卒業生にとっても負担が大きいいですし、私の教材作成が追いつかないことも多々あります。
結果として、温めておいてタイミングが良い時に活用するとタイムリーではない話題となることもあり、
そのたびにお蔵入りが生まれていたのも事実です。
卒業生の声は、どの学校での授業においても重要なメッセージが記されているものばかりで、もったいなくてなりません。

そこで、先述の課題を解決させながら専門科目でもキャリア教育での活用できる教材検討をしていきたいということを、
年始の挨拶がてら過去5年の卒業生30名に伝えてみました。
そうすると、25名の教え子たちが賛同をしてくれました。
「自分たちの経験経験が、学生の生活を豊かにするきっかけになるならば手伝いたい」、
「先生の教え子が、自分と同じ苦しみをしないでもらえるならば社会貢献したい」と言ってくれています。

ということで、授業教材としてだけではなく、卒業生のこれからを支えるものになることを願いつつ、
私は、教え子に助けてもらいながらPandoの授業内活用の方法を検討していくことにしました。
タイムリーに想いや考えが伝えられ、自分の振り返りにも活用が可能になるPandoだからこそ、
オンライン授業を取り入れられている今日、もってこいの教材になるのではないでしょうか。
Pandoを活用した授業教材検討をはじめた背景
学生が抱える課題の傾向は、年々変化していきます。
最近では、特に専門学校現役生の授業内レポートを読んでいると、
自己否定と完全肯定の二極化が見られ、学習の意味を見出すことが出来ず、人間関係もうまく築くことが出来ない様子が
はっきりと確認できます。
時間をかけて個別の課題を整理すると、彼らが背負っていた生活上の課題に出会うことも多く、
課題であった点を長年かけて自分自身の「あたりまえ」として植え付けられたが故、
進路検討、選択、決定のタイミングで苦しむ姿は、印象的でなりません。
(*パラゼミのページにゼミ生がアップしているブログを参考にしてみてください。書かれていないものもたくさんありますが…。)

しかし、卒業生が職業生活に移行してからのビジョン、マインドに触れ、
今と未来の生活を比較することを通じて「あこがれ」や「イメージ形成」の視点が変化していく様子が見えてきます。
そして、ピンポイントで自身が抱えている課題を整理し始めています。
このタイミングで、学習に取り組む姿勢も確立できると、
これまた急激に学生自身が自分の成長に興味を持ち始め、突然前進し始める傾向があります。
ゼミ生だけでなく今年度の1年生の様子(レポート)は、特にその傾向が強く、
彼らは自分自身の不安や葛藤を乗り越えたいと感じているのでしょう。

これに併せて、専門職養成の科目においては、現代社会における学生の生活事例を話題にすると、
学習意欲が高まる傾向もみられています。
多様な福祉ニーズの対象になる過去を持つ学生の自分史を基に社会の課題と個人の課題を把握し、
専門職として客観的にその課題を解決に導く方法を検討する時間が、知識を習得する時間の短縮にもつながっています。
はじめは生活事例を情で受け止めている様子も窺えますが、それはごくごく自然のことです。
事例検討を通して自己覚知をすることで、専門職としての意識も勉強の必要性をも感じ取ってくれる受講者が多いです。
生活者が何らかの障壁にぶつかったときに生活をサポートするためには、
根拠ある知識がなくては対応ができないと実感しているのでしょう。


こうしてみると、自分の目の前で起きていることや社会の問題が自分のあたりまえだとか、社会のあたりまえとして扱われている事柄であると気づき、
身近だけれども身近ではないこととして受け流している自分がいると気づいたとき、
人は急激に学びをチカラに変換していけるのかもしれません。

社会には、らないでは済まされないけれど、知らなくても自分の生活が変わらない事柄はたくさんあります。
しかし、知られないが故にそれで苦しむ人たちもたくさん存在しています。
だからこそ、どの担当科目においても、社会の構造を知るタイミングを持つことができる授業づくりに努めています。

私の授業を受講する皆さんには、
「人々が抱える問題は、人々の生活における人々の認識によって社会化されたもので、それを構築している人の認識の仕方によって問題か問題ではないかが異なる」
ということに目を向けてほしいと考えています。

わたしたちは、ひとつの事象を認識するとき、常に「あたりまえ」でもあり「問題(課題)」でもあるとういう隠蔽的かつ相補的二重の構造を思考の中に組み込んでいます。
学生たちの課題を整理すると、その課題である事柄について「学生は課題を問題だとは思っていない=あたりまえ」だと思っていて、
誰かにそれが問題(課題)だと示されるまでは、「自分の中のあたりまえ」「普通」だから「課題(問題)の本質はそこではない」という認識で過ごしています。
結果、自分が苦しむ理由に当たる部分として蓄積された事柄は、
社会生活上の人との関わり(経験)でつくられた人の認識によって
問題(事柄)だと気づかず、
むしろ、あたりまえのことであるという前提で過ごしているから、余計に苦しんでいるのでしょう。
しかし、問題が提示されることで過去の出来事を基に明確化され、
「あたりまえが当たり前ではない」という自己認識が高まると、
学生が苦しみから解放されている姿が見られます。
そして、違う視点からの「あたりまえ」に変換し、気づきをチカラにして進んでいます。

気づきを与える授業は、考える授業、生きるすべを見つける授業にもつながります。
「あたりまえを問う」授業をもっと質の高いものにするためには、
私の担当科目で言えば、まずは、生きる証を蓄積しつつ、
事例ごとにその状況を生むまでに構築された事柄(対象者とその周囲の人の認識)を整理することが必要です。
今回は、プロジェクトをとおして学生たちの生活に向き合い、
生活の証を基にした次世代の育成につなげられる教材作成にできるよう検討を重ねていきます。
担当するあらゆる科目に効果を生む教材としてPandoを活用し、
何とか彼らの「最善の利益」を追求できる教材を作り上げたいと思っています。

◎お知らせ
18件
とーわ(なつお)
2022.01.24

僕も自分で決めつけてしまった「当たり前」で判断して後悔する事がたくさんありました。
色々な人と関わる事で、客観視して判断する事ができるようになったと思います!

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