日常の気づき
社会人と学生の違いは「責任」だと考えた他のゼミ生のPandoを読んで、僕も考えてみたいと思い、考えてみる。僕も「責任」に違いがあると思う。加えて「責任」に結びつく「義務」を考えることがより理解することにつながるのではないかと考えた。
国民の3大義務は「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」である。
昔は小学生の時に公民で習った際に、「僕は今教育の義務を果たしている」と思っていた。「子供は勉強するのが仕事」という言葉を受けたこともあったので影響されていたのではないだろうか。僕は国民の義務のうち一つは今の所クリア。もう二つクリアで大人になれると
しかし勘違いだったことをすぐ知ります。
「教育を受ける義務」ではなく、「受けさせる義務」であること でした。
憲法26条
- 1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
- 2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
を読むことで勘違いであることがわかりました。
つまり学生は国民の3大義務を一つもクリアしていない存在。
3つの義務は連鎖的に繋がっている事柄でもあります。
「勤労しお金を稼いだら、その中から納税し、納税されたお金を教育のためにも使われること」
この流れにより「社会が育ててくれているんだよ」「社会全体で育てていこうね」という言葉が生まれていくのでしょう。僕も聞いたことがあります。
よって結論
学生と社会人の違いは、「育てる側」と「育てられる側」の違いがある。
国民の三代義務のこと政治経済の授業を高校時代とっていたので知っていた気になっていましたが、その言葉が持つ意味の重さや繋がりは考えたことなかったです!
保坂くんの視点や考え方が僕には無いのですごい興味を惹かれました!
コメントありがとうございます!自分の発言に反応していただくと、とても安心します。
一方的な発言だけでは、コミュニケーションは未完成なのかもしれません。「大人に返信する勇気」というPandoで、そんなことを考えていたのですが、とーわさんから返信が届いたメールを見てより、そう思います。
おもしろい。
ぜひ、他の学校で担当している教育原理と社会福祉基礎を受けてもらいたいものです。
ちなみに、わたしは皆さんの学校のキャリア論で、
自由と責任
権利と義務
について取り上げる単元をつくっています。
思い出せるかな?
Pandoを書きながら、先生が講義中に"責任""義務"という言葉を用いて講義していた記憶を思い出すことが、少しできました。
学んだことをつなぎ合わせて書くことができればもっと多くのことを書くことができるのかもしれません。ノートを読み返しながらもう一つのPandoを書きます。