海がきこえる を通じて

こんにちは。PUZZる代表のあすかです。お久しぶりです!

みなさんは9月21日が何の日かご存知でしょうか?この日は、国連が定めた国際平和デー、通称ピースデーです。世界の人々が「平和」について想いを馳せることを目的に設置された日で、同時に国際平和映像祭の開催日です。今回10回目になった国際平和映像祭 (United For Peace Film Festival)では、私たちが制作した映像作品「海がきこえる」をエントリーしたのですが、なんと、このたび光栄なことに本選に出場することができました!

結果からお伝えすれば、残念ながら入賞とまではいかなかったのですが、様々なテイストを持った作品と出会えたという意味でも、私の中では大きな意義になりました。例えば、夏の期間を奪ったコロナをテーマにした無音映像や、1分間に地球が抱える問題を描いたアニメーション作品など、表現技法としても取り扱った内容としても千差万別、多種多様な映像から大きなインスピレーションを受けました。これはまたいつかお話ししたいと思っています。

ここでお話ししたいのは、私たちの作品、「海がきこえる」についてです。今回のこの作品は、私が監督を務めたということもあり強い想いを持っていて、ただ、だからこそまだまだ私にとっては改善の余地を感じられる作品です。

まずは、作品の内容についてです。「海がきこえる」は、脚本家と何度も精査をして、10分ほどの分量だったものを、規定の5分の尺になんとか収めたことを背景に、描きたかったすべてを描ききれなかったなと思っています。これは、勿論多少の取捨選択は必要ですが、それ以上に、一つのシーンで伝えたいことの抽出のバランスも意識がけるべきだったとも思っています。例えば、「海がきこえる」の完成脚本では、主人公の昔から変わらない海への想いを描くために、海で出会った少女の「また、会いに来てくれる?」というセリフから始まる対話をいれていました。しかしながら、尺の都合上全カットをせざるをえなくなり、そしてその部分で描きたかった部分も同時に削るという形で対応しました。尺を短くするのはよくあることだとはいえ、そこで伝えたかった部分を数秒で代替する手腕は施せたのではないかと思っています。

次に、制作そのものについてです。実は海がきこえるの制作メンバーはPUZZる全体ではなく、基本的にはもともと映像制作に中学時代から従事していたメンバーだけでした。特にコロナの緊急事態宣言が解除されてすぐという時勢でもあったので、クオリティにこだわれなかったのかなと後悔しています。私は特に妥協をしてしまいがちで、ある程度の質を迎えるとそれ以上は、もしできるならばの範囲だと判断する傾向にあると今回の制作を通じて思いました。特に、今回はディレクターとプロデューサーを兼任していたので時間の管理も念頭に置いていたのもあり、撮影を駆け足でしたことで満足いくまで詰める工程をはぶいてしまいました。本当に評価される作品を作ることのできる監督であれば、妥協せず描きたいものを追求する姿勢は必要だと強く感じるきっかけにもなりました。

しかし、私はこの作品制作を通じてPUZZるの意義を確立することにもなりました。PUZZるの基本理念は3つの「繋がる」です。人と人の繋がり、人と社会の繋がり、そしてメディアとメディアの繋がり。その中でも、特に人と社会が繋がるというのは、日本の高校生にとって難しい課題です。閉鎖的な学校という機関に所属している以上、社会がその中で完結しまいがちですが、世界には目を向けなければいけない問題は数多と存在しています。そのうちの一つでもある環境問題についても、実を言えば私たちは深く理解していませんでした。深刻であるという事実は知っていても、どのように、なにが、どのくらい深刻なのか。それを考える機会を持っていませんでした。しかし、このPUZZるの活動を通じて、私やメンバーはみな海洋汚染がコロナによって悪化していることや、生活圏近辺の海の汚れる理由に触れることができました。このように、映像作品を作る、という目的を通じて、私たちは環境問題の現状という社会と繋がれたのではないでしょうか。このような、制作の過程に潜む価値は新たな研究対象にもなりうるでしょうし教育にも取り入れることのできる分野であると私は思います。学生団体 PUZZるとしても、そういった「作品そのもの」だけでなく、全体を通じた新たな繋がりというものを見つけていければいいな、と思っています。