メディアについて考える〜これからの世の中ってどうなっちゃうのぉぉ(仮)〜〜 ①

この記事は、私がSセメスターで受講した記号論という講義で出題されたレポートがもとになっています。内容はまあざっくり行って「メディアと国家の今までとこれから」って感じなんですけど、そもそもみなさんメディアって聞いたときになにを思い浮かべるんでしょうね?

大抵の方はメディアと聞いてまずテレビや新聞等、いわゆる「マスメディア」というのを思い浮かべると思います。また別の方は日常的に利用されるLINEやInstagram等のSNSが「ソーシャルメディア」と呼ばれるものであることに気づくでしょう。このようにメディアというものは情報を提供する人と、情報を取得し、それを利用する人を繋げる場として考えられる場合がほとんどだと思うのですが、実は英語のmediaはmediumの複数形なんですね。mediumという単語を聞いて「中間の」という形容詞の意味が思い浮かぶだろうし、名詞だと「媒体、媒介、手段」という意味があるそうです。つまり「情報を伝える媒体」あるいは「情報を伝える手段」。

こう考えるとメディアとして捉えられるものはなんでもありですね。実際社会学者のマーシャル・マクルーハンは著書の中で「⾞であろうが、⽂字であろうが、ラジオであろうが、⾝体の特定の機能を拡張するために開発された技術に対して、われわれが⽀払わなければならない対価がある。それは、これらの感覚の⼤規模な<拡張>は<閉じられた>系を作り上げる、という点である。」(『グーテンベルグ の銀河系』p. 9)と述べています。彼の主張の特徴はメディアとして一般的に考えられるテレビ、ラジオ、新聞等を超えて自動車や文字、さらには人間の発する音声までをメディアとして捉えたところにあります。情報を媒介する手段、それはなんでもメディアと言えるわけですね。(ちなみにぼくは「グーテンベルクの銀河系」(もだしもっといえばあとの方に登場する本のほとんど)は未読です、ごめんなさい…)

ところでマクルーハンは「メディアはメッセージである」と述べています。これはメディアはメディアが伝える内容よりも、むしろそれを伝えるメディアの媒介形式(つまりメディアの種類)の面で重要である、というのです。これは後で伏線として効いてくる主張なので、今は頭の片隅にとどめておいてください。

https://pando.life/riroshy/article/40799

メディアについて考える〜これからの世の中ってどうなっちゃうのぉぉ(仮)〜〜 ②

ぐるぐる
りろっしー

②に続きます。

出典:マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系活字⼈間の形成』 (森常治訳、みすず書房、1986年)