覚悟と責任あるボランティアを―ボランティアを再定義する団体へ―

こんばんは! 京滋奈金地区代表、金沢大学支部3年のしーさんです。
STUDY FOR TWOの新歓に行った日を昨日のように覚えています。初めて参加した全国合宿を昨日のように覚えています。 なのに! 3年生になっちゃった~! ということで、この2年間で考えたことを少しずつ書いていこうと思います。

私たちは「ボランティア団体」に所属しています。「ボランティア」って何でしょうか?
私は、「ボランティア」という単語があまり好きではありません。その理由とSTUDY FOR TWOについて書いていこうと思います。

ボランティアとは

ボランティアは、ラテン語のボランタスvoluntās(自由意志)を語源としており、自発性に裏づけられた奉仕者、篤志家を意味するものであった。保健、福祉、教育などの事業においては、自発的または自主的に無償の奉仕活動をする人々をさし、自発性または自主性、善意性、無償性、先駆性ならびに自己犠牲を伴うことがその行為の基本的特性とされていた。(以下略)
(日本大百科全書より引用)
ジャパンナレッジで「ボランティア」と検索し、いちばん上に出てきたものを引用しました。一般的に、ボランティアとは、自主性・善意性・無償性、そして自己犠牲の活動

奉仕活動としての覚悟と責任を

私が「ボランティア」が好きではない(なんなら嫌い)な理由は、多くの人が、「覚悟と責任感」を持っていないから。
((地域に関する勉強をしていると、自分の活動を「ボランティア」と称して無責任な地域荒らしをしている人をたくさん見てきました。ただ単に地域で研究したいだけなのに自分が地域に入ることを「ボランティア」と呼んでいる人を見たこともあります。))

ボランティアとは奉仕活動、つまりボランティアを行う人は他者に何らかの影響を与えているのに、「自主性・善意性・無償性・自己犠牲」というボランティアの性質を免罪符に、自分が他者の何かを変えようとしている事実に対しての覚悟と責任から逃げているように感じます。

「ボランティアを再定義する団体へ」

ここからSTUDY FOR TWOの話です。

ボランティアを再定義する団体へ

身を削るボランティアはもう終わりにしよう。誰もが恩恵を被るwin-winなシステムを構築する 


STUDY FOR TWOのあるべき姿です。
ボランティアの定義が「自主性・善意性・無償性、そして自己犠牲性のある奉仕活動」だとしたら、STUDY FOR TWOで再定義したボランティアとは「誰もが恩恵を受けるwin-winの奉仕活動」というところでしょうか。

STUDY FOR TWOが再定義した「ボランティア」には逃げ道がありません。「自分を犠牲にしているからちょっと妥協しても大丈夫」とはなりません。

私たちは、自己犠牲のない、言い訳のできないボランティアをしています。

「勉強したいと願うすべての子どもたちが勉強できる世界に」・「教育で人生が、世界が、未来が変わる」

私たちは、「勉強したいと願うすべての子どもたちが勉強できる世界」になることを目指して活動しています。

なぜ、「教育」なのか。
「教育で人生が、世界が、未来が変わる」から。

つまり、勉強したいと願う子どもたちに私たちが教育を届けるとは、
その子どもの人生を変えること、延いては、世界を、未来を変えること。

妥協できないですよね。だって、一人の子どもの人生に影響を与えようとしているんですよ。

覚悟と責任感のあるボランティアを行う人でありたい

本記事の結論です。私は、人の人生を変えているかもしれない、このボランティア活動を、覚悟と責任を持って、取り組みます。残りの2年間のSFTライフを妥協せず全力を尽くして過ごしたいです。また、みなさんもぜひ頭の片隅に置いておいていただきたいです。私たちは、未来を変えています。


少々余談ですが、支部長/地区代表という役職も支部/地区の未来を変えるのに大きく貢献してしまう役職です。このことに覚悟を持って、責任を持って、全うしていきますので、よろしくお願いします!!(`・ω・´)

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