「期待する」ということ

期待将来そのことが実現すればいいと、当てにして待ち設けること。 -広辞苑
みなさんは、人から期待されたらどう思いますか?

信頼されていると感じる、なんだかやる気になる、プレッシャーを感じる、期待に応えようとして空回りする…いろいろなことを感じると思います。

逆に、人に期待したくなるときってどんな時ですか?

なにかをお願いするとき、一緒にがんばりたいとき…こちらもいろんな状況があると思います。今回は、STUDY FOR TWOという団体における「期待」について書きたいと思います。
「期待」がなぜ必要か
僕は個人的に、STUDY FOR TWOにとって「期待」は、必要不可欠なものだと思っています。

理由はシンプルで、SFTに所属するメンバーは、想いによって行動しているからです。これはボランティア団体や学生団体など、SFTに限ったことではありません。

メンバーのために活動したい。大学生に寄り添いたい。勉強の機会を子どもたちに届けたい。そのために、この団体をもっと大きくしたい。

そんな想いをもって活動しているということは、STUDY FOR TWOという団体に対して、なにかしらの期待をしているということだと思います。

ここには自分を変える何かがあるかもしれない。ここでの活動が社会を変えるかもしれない。そんな期待があったから、団体はここまで続いてきたし、大学生を惹きつけ続けてきたんだと思います。
受け取る期待、与える期待
まあ言ってることはわかる、けどどうしても、面と向かって「期待してます!」とか言われるとプレッシャーに感じます。

「期待」に対してマイナスイメージがあるのは、その期待に応えないといけないと思うからです。世間一般でされている期待ってだいたいこれだと思います。それで自分を奮い立たせて頑張れる人は、多分、才能があります。いけるとこまでいっちゃいましょう。

上で挙げたような期待は「受け取る期待」です。期待をする側が、なにかを受け取ることを期待しているんですね。「ぜひ私のためにおいしい肉じゃが作ってね」みたいなことです。

(こういわれたらレシピめっちゃ見て手に汗握りながら作ると思う)
(てかそんなふうに言われたら、じゃあ自分で作れば?とか思う←違う)

では「与える期待」とはなんでしょうか?

それは、相手がなりたい自分になることを期待することです。相手の自己実現を期待し、幸せになることを願うことです。期待をする側の、何かを受け取りたい!という欲求は介在しません。

STUDY FOR TWOに必要な期待は「与える期待」です。

期待されることをプレッシャーに感じた時点で、それは義務になります。ボランティア団体で、義務と向き合い続けることは簡単なことではありません。

「期待してるよ」という言葉は

「SFTでの活動を通して、なりたい自分になることを期待しているよ」
「自分がこの団体に所属する意味に、納得できるようになることを期待しているよ」

という意味を持っているはずです。
期待し、期待される関係
SFTに所属するメンバーは、それぞれの「想い」によって動いていて、その想いを引き出すために「与える期待」が必要だ、という旨の文章を書きました。

メンバー同士が、互いの自己実現を応援しあい、団体が目指す理念の達成に向けてともに活動を続ける。誰かのためだけじゃない、自分自身の願いのためにも。

期待すること、期待されることが当たり前になるような、そんな文化をSTUDY FOR TWOに作りたいです。

STUDY FOR TWOという団体が、理念達成を志し、自分の将来に期待し、人生に希望を抱き、社会課題を解決に導けるような、そんなメンバーで溢れるような団体になることを目指して、これからも活動を続けていきます。

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