半年ぶりにPandoしてます。関東地区代表のどいまんです。
最初の投稿は地区代表就任の投稿でした。あれから約半年が経ちまして、いろんな変化の中で、自分自身掲げていたビジョンにも変化がありました。
そんな変化を、せっかくだから記事にしようと思い立っています。
以前定めていたビジョンについてはちょっと恥ずかしいのでこっそりのぞいてみてください。僕が半年地区代表を経験し、今現在で抱いているビジョンは
「いろいろ楽しそうにやる」
というものです。
いかにもふわっとしていて、なにをいっているのかよくわからないと思うのですが、ひとまず経緯をお話していきます。
はたから見たら辛そうに見えることでも、楽しそうになにかに夢中になって取り組んでいる人を見ると応援したくなるし、そういう人と一緒に活動したいし、自分もそうなりたいと思います。
かのアリストテレスはいいました。人のこころを動かすのは説得力であり、説得力とは「信頼」「理論」「感情」が含まれた状態であると。(ここではいったん信頼と理論は置いといて「感情」に注目します)
楽しそうにする、それによって感情面での説得力が増し、人のこころを動かすことができる。つまり、ぼくは、人のこころを動かすために楽しそうにしたいのか!という結論に至りました。
しかし、納得できませんでした。最終的に誰かのこころを動かしたいのかもしれないけど、いまのところのゴールは自分が楽しそうにすることです。それによってだれかのこころを動かすことができるのかもしれませんが、それは自分が楽しそうにする目的ではありません。
そんなことを考えるうちに、楽しんだ先に結果として現れる、こころを動かすということよりも、何かを楽しんで取り組もうとする、過程そのものが楽しいんだと思うようになりました。
人のこころを動かすために自分が楽しそうにするってちょっとおこがましいじゃないですか。僕は自分が楽しそうにしたいから楽しそうにしているだけで、だれかのためとかじゃない気がします。誰かのために楽しそうにしたら、本当に楽しそうにしているとは言えなくなってしまうかもしれません。
となると、楽しそうにしたい理由は、楽しそうにしている自分が好きだからということになります。無難な結論に至りました。でもそこに至る過程が大事なんですよ、たぶん。
日々楽しそうに過ごすことで、いままで感じえなかった楽しさを見つけることができます。楽しさを見つけることは自分を見つけることです。自分を見つけることができれば、自分がやりたいこと、達成したことが見えてきます。STUDY FOR TWOでの活動は、自分が成し遂げたいこと達成するための手段です。ゴールではありません。
僕は日々、楽しくわくわくしながら生活したいと思っています。
そして、周りの家族、友達、関わる人すべてに、そうあってほしいと思っています。
それは、私たちSTUDY FOR TWOが支援する、途上国の子どもたちも例外ではありません。
楽しみながら生活を営んでいくことは、生きていく上で必要不可欠なことです。
「教育機会の提供」は、楽しくわくわくする生活をするために、同じく必要不可欠なことです。
私たちは日本という国で、教育を享受することができています。
ならばせめて、教育を享受できている身として、いろいろ楽しそうにやりたい。
教育機会の提供を通して、楽しく、わくわくする生活を途上国の子どもたちにも届けたい。僕はそういう想いでSTUDY FOR TWOの活動に取り組んでいます。
そんな僕の意見を聞いて、ちょっとでも「楽しんで普段の活動に取り組もうかな」と思ってくれたらうれしいです。
(こんな偉そうなことを言いたかったわけじゃないんですが、まあみんな楽しくやろうよってことです。読んでくれた方、ありがとうございます。今後も精進します。)
最初の投稿は地区代表就任の投稿でした。あれから約半年が経ちまして、いろんな変化の中で、自分自身掲げていたビジョンにも変化がありました。
そんな変化を、せっかくだから記事にしようと思い立っています。
以前定めていたビジョンについてはちょっと恥ずかしいのでこっそりのぞいてみてください。僕が半年地区代表を経験し、今現在で抱いているビジョンは
「いろいろ楽しそうにやる」
というものです。
いかにもふわっとしていて、なにをいっているのかよくわからないと思うのですが、ひとまず経緯をお話していきます。
- なぜ楽しそうにしたいのか?
はたから見たら辛そうに見えることでも、楽しそうになにかに夢中になって取り組んでいる人を見ると応援したくなるし、そういう人と一緒に活動したいし、自分もそうなりたいと思います。
かのアリストテレスはいいました。人のこころを動かすのは説得力であり、説得力とは「信頼」「理論」「感情」が含まれた状態であると。(ここではいったん信頼と理論は置いといて「感情」に注目します)
楽しそうにする、それによって感情面での説得力が増し、人のこころを動かすことができる。つまり、ぼくは、人のこころを動かすために楽しそうにしたいのか!という結論に至りました。
しかし、納得できませんでした。最終的に誰かのこころを動かしたいのかもしれないけど、いまのところのゴールは自分が楽しそうにすることです。それによってだれかのこころを動かすことができるのかもしれませんが、それは自分が楽しそうにする目的ではありません。
そんなことを考えるうちに、楽しんだ先に結果として現れる、こころを動かすということよりも、何かを楽しんで取り組もうとする、過程そのものが楽しいんだと思うようになりました。
人のこころを動かすために自分が楽しそうにするってちょっとおこがましいじゃないですか。僕は自分が楽しそうにしたいから楽しそうにしているだけで、だれかのためとかじゃない気がします。誰かのために楽しそうにしたら、本当に楽しそうにしているとは言えなくなってしまうかもしれません。
となると、楽しそうにしたい理由は、楽しそうにしている自分が好きだからということになります。無難な結論に至りました。でもそこに至る過程が大事なんですよ、たぶん。
- 「楽しい」を問う意味とは
- なぜこの記事を書くのか
日々楽しそうに過ごすことで、いままで感じえなかった楽しさを見つけることができます。楽しさを見つけることは自分を見つけることです。自分を見つけることができれば、自分がやりたいこと、達成したことが見えてきます。STUDY FOR TWOでの活動は、自分が成し遂げたいこと達成するための手段です。ゴールではありません。
僕は日々、楽しくわくわくしながら生活したいと思っています。
そして、周りの家族、友達、関わる人すべてに、そうあってほしいと思っています。
それは、私たちSTUDY FOR TWOが支援する、途上国の子どもたちも例外ではありません。
楽しみながら生活を営んでいくことは、生きていく上で必要不可欠なことです。
「教育機会の提供」は、楽しくわくわくする生活をするために、同じく必要不可欠なことです。
私たちは日本という国で、教育を享受することができています。
ならばせめて、教育を享受できている身として、いろいろ楽しそうにやりたい。
教育機会の提供を通して、楽しく、わくわくする生活を途上国の子どもたちにも届けたい。僕はそういう想いでSTUDY FOR TWOの活動に取り組んでいます。
そんな僕の意見を聞いて、ちょっとでも「楽しんで普段の活動に取り組もうかな」と思ってくれたらうれしいです。
(こんな偉そうなことを言いたかったわけじゃないんですが、まあみんな楽しくやろうよってことです。読んでくれた方、ありがとうございます。今後も精進します。)