自分の正解が世の中の不正解なら死ねばいい。

今回は僕の座右の銘を紹介します。それは

「自分の正解が世の中の不正解なら死ねばいい」です。

僕はこの言葉を胸に日々行動しています。世の中不条理なことばかりです。憲法や法律には人々は等しく平等などと書いてありますが、永遠の課題であり一生たどり着くことのない理想にすぎません。世の中は、とてつもなく残酷で不平等です。自然界を見れば一目瞭然、弱肉強食が摂理であり原則です。神様というものがいるのであれば、最初からそういう残酷さを前提にこの世界を作ったのかもしれません。

「 他人を蹴落としても生き残れ 」

これが世の中いや自然の正解なのかもしれません。

歴史の中、人間社会を見ても同じです。偉大で心優しい人間ほど不運な死に見舞われたり、世の中に殺されている。現代のニュースを見ても、いつも世の中に世間に殺されるのは心優しく真面目で周りから慕われている人ばかりです。正直者がバカを見る。まさにそれが人間社会、今の世の中なんです。

何となく世の中の正解が見えてきますね。だからこの世の中で幸せに楽に生きるなら、 どこかの国で飢えで、戦争で苦しんでいる子供たちを見ても知っても見知らぬフリをしなくてはならないし、誰かの助けてくださいという声も無視しなくてはいけない。他人に優しく、信頼する必要もない。全てビジネスの観点で、ものをみて仮面を被って力のある者に、損得勘定で人間関係を構築してく。その人間関係を友情といい、愛情といい、絆と思い込むことで自分は幸せだと思い込む。なんて素晴らしい世の中なんでしょう。 人はこの幻想の中で、この世の中を幸せに生きられる。なぜならそれが世の中の正解だから。

でも、世界には世の中の不正解を 正解だと信じ続けるもの達がいる。生まれた境遇や環境で希望も夢も失った人達に手を差し伸べ、助けようとする“馬鹿者”がいる。世の中の不正解だとわかっていながら、社会に世の中に世間といったとてつもなく大きな敵に立ち向かってきたもの達がいる。 その英雄達のおかげで、彼らが信じ続けた正解は未だ世の中の不正解ではあるが、少しずつ正解になろうとしている。

僕はその馬鹿者の1人になりたい。彼らのように大きなことはおそらく何もできないだろう。ただ目の前でできることはたくさんある。自分の関わることのできる人、全員の力になりたい。助けになりたい。全員の笑顔をつくりたい。  僕も所詮、口だけなのかもしれない。時に世の中の正解に囚われ、自分の正解を見失う時もある。他人を傷つけることも悲しませることもある。 他人に関わらない方が楽だしはるかに幸せだ。親切は1文の得にもならない。そう思う時もある。世の中は全力で仮面をかぶせに来るだろう。しかし確固として何一つぶれないのは、自分の生きがいが、誰かに笑顔でありがとう と言われること。ただこれだけにつきることである。

自分が生み出したその笑顔が感謝が周りの人に、人生に少しでもいい影響を与え、少しずつ世の中の正解が変わっていけばいい。自分はその踏み台でいい。

自分の正解だと思うことをやれば、社会や世の中が、現実がそれを不正解にしたがるだろう。

自分は大した人間じゃない。使命なんて大それたことも言うつもりは無い。だから辛くなったら死ねばいい。           それでいい。

いつか自分が思いを届けた誰かがこの世界を少しでもいい方向変えてくれるのであれば。どこかで泣いていた誰かが笑顔になるのであれば。

座右の銘
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