私が日本食べるタイムスに入った理由

みなさんこんにちは。日本食べるタイムス、山形大学人文社会科学部4年の中村謙吾です。初投稿の今回は私が日本食べるタイムスに入った理由をお伝えします。

2019年8月。日本食べるタイムス主催のもと山形県小国町で行われた農業インターンに参加したのが食べタイとの出会いでした。農業インターンでは農業と地域にどっぷり浸かる1週間を過ごしました。ではまず私が農業インターンに参加した経緯からお話しします。

私が農業インターンに参加したのは大学3年の時でした。大学4年からスタートする就職活動を控え、今後の自分の人生に真剣に向き合わなければいけない時期でした。そんな時に出会った一冊の本。ある地域に残った伝承野菜とレストランの物語。その本を読んだ後から農業と食への興味がふつふつと湧き上がっていきました。「もし俺が農家になったら俺の野菜を食べてほしい。」そんなことを言うと二つ返事で受けてくれる友人もいました。

食べタイの農業インターンと知ったのはちょうどその頃で、友人が「こんなインターンがあるよ、行ってみたら?」と声をかけてくれました。地元は田んぼも畑も見渡せばどこにでもありましたが、農業に興味を持つまで触れる機会がほとんどなかったので農業インターンが農業に触れた初めての機会でした。採りたてのアスパラの味わい、注連縄の香り、仲間たちの声。ここでの1週間はとても濃く忘れられないものとなりました。農業インターンの後も小国町とは関係を持ち続けています。

農業インターンが終わり大学に戻ってからは、農業に関心は持ち続けながらもなかなか農業に触れられずにいました。関心を持っていた農業に触れなれない一方で、様々な思索と人との出会いを繰り返し、いつしかこんなことを言っていました。

「世界一周をするんだ。」

突然で突拍子もないことですよね。自分でもそう思います。バカも大概にしろと。笑
純粋に心から湧き出る旅に出たいと言う思いのほかに、自分が生まれ育った山形が自分にとってどのような場所であるかを外に出て確かめたかったと言う思いがありました。そして4年生にして私は親からの反対を押し切り大学を休学し世界一周の旅に出る決意をしました。

決意したは良いものの、突然思いつき動き出したので旅に出るお金はほぼ持ち合わせていませんでした。なのではじめの数ヶ月はバイトでお金を貯めることになりました。まずは3月に地元の山形を離れ約3ヶ月間、宮城石巻の漁師さんのもとで働きました。内陸育ちの私はただの朝でさえ新鮮な気持ちで包まれていました。農業以外にも一次産業全般に関心があったので石巻での生活は素晴らしい経験になりました。


そして世界一周への道も順調に歩み出したと思った矢先。ヤツが、コロナがきてしまったんです。旅のスタートは8月を予定していたため、全てが白紙になってしまいました。しかし旅に出れなくなっても休学することは既に決まっていたので、この時間を無駄にしないために行動を続けなければと思っていました。そこで休学中の活動を方向転換させ、農業や食の世界を探求すること・発信することに力を注ごうと決めました。食べタイに入ったのは仲間が多ければそれだけ面白いことができると思ったから。これまで周りには一次産業や食の分野に関心があるいう仲間が少なかったので、仲間を作りたかったという思いがあります。

食べタイでやりたいことはいくつかあります。まずはたくさんの農家さん、漁師さんの生き方に触れること。職業を知りたいというより彼らの生き方そのものを知りたいんです。そして農家さん、漁師さんの生きる地を訪れる中で私にとっての第二・第三の故郷を見つけたいです。大学を卒業して社会に出ても通い続けられる場所が日本にたくさんあったら幸せですね。

そんな感じでまだ入ったばかりなのに食べタイにはワクワクしっぱなしです。個性豊かで知識・経験豊富な仲間たちに囲まれて活動できるのが本当に楽しいです。オフラインで一緒に活動できる日が待ち遠しいですね。

...と食べタイに入った理由というより、入るまでの経緯になってしまいました。まだまだ無知な私ですが、これから記事を通して一次産業の様々な物語を私なりの表現でお伝えしていきます。ここまで読んでいただきありがとうございました。


関連記事